精選版 日本国語大辞典 「ゴール朝」の意味・読み・例文・類語
ゴール‐ちょう ‥テウ【ゴール朝】
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
1100?~1215
グール(Ghūr)朝ともいう。アフガニスタン中央部のゴール地方を中心としたイスラーム政権。11世紀前半からガズナ朝下で勢力を持ち始め,1148年自立。86年,ギヤース・アッディーンはガズナ朝を滅ぼし,アフガニスタンからイラン東部を支配下に入れるとともに,弟ムハンマド・ゴーリーをしてインド進出を繰り返させ,ラージプート軍を撃破して,ベンガルにまで進出した。1202年,ムハンマド・ゴーリーが即位すると,ホラズム・シャー朝に押されてイラン東部を失ったが,インド方面での勢力を確立し,その後のイスラーム諸王朝の北インド支配の基となった。06年の彼の暗殺によって王朝は分裂状態になり,北インドには奴隷王朝が成立した。15年,最終的に滅亡した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
12世紀中葉から13世紀前半までアフガニスタン地方に続いたトルコ系の王朝。グール朝ともいう。12世紀後半から13世紀初頭にかけて、ギヤースッディーン・ムハンマドとシハーブッディーン・ムハンマドの治世に、ガズナ朝にかわってその権力を確立した。とくに後者は「ゴールのムハンマド」として歴史上有名であり、聖戦(ジハード)を称して北インドに侵入軍を送り、1192年にはクトゥブッディーン・アイバク指揮下のゴール軍がヒンドゥー王のプリトゥビラージを破ってのちは、そのインド侵入軍の一隊は遠くベンガル地方にまで進撃している。しかし、彼自身はインドの支配者となることなく、支配層の内紛のため1206年にゴールで暗殺され、西北インドの征服地はアイバクの権力のもとに置かれた。ゴール朝はアフガン台地のトルコ系王権であるが、インドにイスラム教徒たるトルコ人の支配を確立させる道を整える役割を果たした点で重要である。
[荒 松雄]
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…
[イスラム教徒のインド支配]
8世紀初めにウマイヤ朝のアラブ軍がインダス川下流域を征服したが,この後の3世紀間,イスラム教徒はそれ以上亜大陸内部に進出することはなかった。彼らの組織的なインド侵略が始まるのは,アフガニスタンにガズナ朝とゴール朝が相次いで興ってからである。トルコ系の両王朝は11世紀初頭から侵入・略奪を繰り返し,分立抗争していたヒンドゥー教徒の諸国を破って,しだいにインド支配の足場を固めた。…
※「ゴール朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
少子化とは、出生率の低下に伴って、将来の人口が長期的に減少する現象をさす。日本の出生率は、第二次世界大戦後、継続的に低下し、すでに先進国のうちでも低い水準となっている。出生率の低下は、直接には人々の意...
11/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/26 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典を更新
10/19 デジタル大辞泉プラスを更新
10/19 デジタル大辞泉を更新
10/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
9/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新