サバ王国(読み)サバおうこく(英語表記)Saba'

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サバ王国」の意味・わかりやすい解説

サバ王国
サバおうこく
Saba'

サバ人の建てた南アラビアの古代国家。前8世紀にその起源を求める説が有力であるが,前5~4世紀からとみる学説もある。最初は祭政一致の体制であったが,やがてマリク (王) が政権を握った。王の時代はマーリブを都とし,同地に巨大な灌漑用のダムを建設して高度な農業を営み,またイラク,シリア方面との交易も盛んに行なった。その北方にはミナ王国が,南方海岸地帯にはカタバーン王国ハドラマウト王国などが栄えたが,これらの諸国はサバ王国に服属していたようである。これら南アラビアの王国はアニミズム天体崇拝を中心とする多神教を発展させ,碑文として今日に伝わる独特の文字を用いていた。旧約聖書コーランにサバ (シバ) の女王の名が現れ,その文化は北方のセム族との類似が著しい。前 115年からはヒムヤル王国がサバ王国から分離し,3世紀にはヒムヤル王国がサバ王国に代って南アラビアの覇者となる。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「サバ王国」の解説

サバ王国(サバおうこく)

サバァ王国

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世界大百科事典(旧版)内のサバ王国の言及

【イエメン】より


【歴史】
 イエメンとハドラマウトは南アラブの原住地で,彼らはここにサバ,ハドラマウト,カタバーン,マイーン,ヒムヤルなどの王国を建設した。これを総称して古代南アラビア王国というが,その絶対年代については定説がなく,最も古いサバ王国は,その王の名がアッシリアの碑文に現れる前8世紀末以前に建国されたとされるが異説もある。古代南アラビア王国は灌漑農業と,ハドラマウト特産の乳香のほか,インド,東南アジアからもたらされた香料を地中海世界に運ぶ遠隔地通商によって栄え,その豊かな香料のゆえに,古代ギリシア・ローマの著作家は南アラビアを〈幸福なアラビアArabia Felix〉と呼んだ。…

【インド洋】より

… 相互交流の始期は不明であるが,アフリカのサバンナ地帯の雑穀類のインドへの伝播や東南アジアからアフリカへの栽培種バナナの伝播は前2000年かそれ以前と考えられており,前2300年ころには,すでにメソポタミア,インダス文明間にペルシア湾経由の沿岸航路が発展していた。紅海沿岸では,前10世紀にイエメンのサバ王国がインドの香料貿易の仲介で繁栄し,さらにフェニキア人,そしてアレクサンドロス大王の遠征以後エジプトを基地としたギリシア人の進出もみた。インド人,アラブ,フェニキア人は季節風(夏の南西風,冬の北東風)の利用法をすでに知っていたと思われるが,1世紀中ごろの《エリュトラ海案内記》は,これを発見したのはギリシア人舵手ヒッパロスHippalosだとする。…

【マーリブ】より

…人口1万3000(1975)。サバ(シバ)の女王で知られるサバ王国(前1000ころ‐前115)の都が置かれたところで,巨大なマーリブ・ダムが築かれた。ダムは数次の修復を経て約1000年にわたって維持されたが,575年崩壊したと伝えられる。…

※「サバ王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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