精選版 日本国語大辞典 「さば」の意味・読み・例文・類語
さ‐ば
- 〘 接続詞 〙 先行の事柄の結果として、後行の事柄が起こることを示す。それならば。それでは。さらば。
- [初出の実例]「男、志賀へなん詣づると言ひければ、やがて、さば、もろともに。ここにも、さなむとて、行きける」(出典:平中物語(965頃)二五)
さばの補助注記
「さらば」「されば」の変化した語といわれるが、また、副詞「さ(然)」に助詞「は」の付いた「さは」とする考え方もある。
翻訳|mackerel
「さらば」「されば」の変化した語といわれるが、また、副詞「さ(然)」に助詞「は」の付いた「さは」とする考え方もある。
硬骨魚綱スズキ目サバ科サバ亜科のうちサバ族に属する海水魚の総称。世界の熱帯から温帯域内の沿岸部に分布するが、とくに西太平洋からインド洋海域に多産し、この海域ではもっとも重要な漁獲物である。サバ族は2属6種で、サバ属3種とグルクマ属の3種が知られている。日本でサバとよぶものはサバ属のマサバScomber japonicusとゴマサバS. australasicusの2種をさすのが普通である。一般にサバ科のなかでもっとも原始的な仲間とみなされている。
[沖山宗雄]
体は紡錘形でやや側扁(そくへん)する。マサバはヒラサバ、ホンサバともよばれ、ゴマサバより側扁の度合いが強い。体高は頭長より小さい。第1背びれと第2背びれは大きく分離している。第2背びれと尾びれの間には背腹両縁に各5個の副びれあるいは離(はなれ)びれがある。尾びれの基部には体側に各2個の小縦隆起があるが、カツオの尾柄(びへい)隆起のように発達はしない。鰓耙(さいは)(えらの咽頭(いんとう)側の面に列生する突起)はよく発達し、その数は約40本。体色は背部が緑色、腹部は虹彩(こうさい)を帯びた銀白色で、背部には通常、黒色波状紋があり、ゴマサバ(別名マルサバ)では腹面にも小黒点が密布する。体表は剥離(はくり)しやすい小鱗(しょうりん)で覆われる。
サバ属は、かつてうきぶくろをもつマサバとゴマサバをPneumatophorus属、これを欠くタイセイヨウサバをScomber属とそれぞれ別属に分けたことがある。両者は骨化の状態、仔稚(しち)魚の形態的特徴、地理的分布などにおいても明瞭(めいりょう)な相違を示すが、現在では性状のやや異なるこの2群を1属に含めている。マサバとゴマサバは色彩斑紋(はんもん)や第1背びれ棘(きょく)数などの外部形態の特徴を異にするが、正確に区別するには背びれの担鰭(たんき)骨(ひれの基部にある骨で、マサバは13~16個、ゴマサバでは17~23個である)あるいは神経間棘数が用いられる。
[沖山宗雄]
サバ科魚類は脊椎(せきつい)骨数の違いによって3群に大別される。サバ属はグルクマ属、ニジョウサバ属とともに脊椎骨数30~31個ともっとも少ないグループに属する。サバ科の化石種が同様な特徴を示すことから、これらの沿岸性属はこの科の基本的種群と考えられているが、おのおのが相当特化しているとみる考えもある。サバ属とグルクマ属とは種々の特徴がよく類似しているために、もっとも近縁な仲間とみなされる。ニジョウサバ属はサワラ族に編入されてはいるが、地理的分布、稚魚期の特徴などから、サバ属にかなり近縁であることが考えられる。
[沖山宗雄]
3種の地理的分布は非常に広範囲の海域に及び、熱帯域を除く温暖域を相互に排除しあうような形で各種が分布している。このうちマサバはもっとも広い分布域を有し、太平洋と大西洋および東部アフリカ沖のインド洋から知られている。西太平洋では日本、朝鮮半島、中国、沿海州において多産し、東太平洋ではカリフォルニア沖からメキシコ、ペルーを経てチリの沿岸まで断続的に分布する。大西洋においても東西両域に分布し、西岸ではマサチューセッツ沖からアルゼンチンまで、東岸では南寄りの地中海、黒海からケープ・タウンに及ぶ。ゴマサバはマサバより暖海性が強く、西太平洋では2種の混在がみられるものの、平均的にはマサバと南北に分離した形で生息している。南西太平洋ではゴマサバのみが出現し、オーストラリア、タスマニア海域には多産する。ハワイ、メキシコ沖での記録もあるが、インド洋からは知られていない。タイセイヨウサバS. scombrusは北大西洋にのみ分布し、マサバよりも北方の寒冷域に生息する。夏季には黒海、北海、セント・ローレンス湾にまで回遊する。
[沖山宗雄]
分布域の広さを反映して、各種は多数の地域別の系群に分かれており、生物学的特徴も系群によって異なることが多い。日本近海のマサバについては12~19℃の水温帯のなかでいくつかの地方群が認められている。つまり、太平洋、東シナ海南部および西部、五島(ごとう)列島西沖、対馬(つしま)暖流系群などであるが、これらは固定的な集団ではなく、資源水準や環境条件との関連で流動的に交流しあうものである。顕著な季節的な南北回遊をするこの仲間の生活史は、基本的には春・夏の北上回遊は索餌(さくじ)行動と産卵行動が中心であり、秋・冬の南下回遊は越冬のためと考えられる。産卵は日本各地の沿岸で行われ、水温範囲は12~24℃と広く、最適水温は18℃前後である。産卵盛期は沖縄から薩南(さつなん)海域が2、3月、南九州から本州中部が4、5月、日本海北部で5~7月である。一尾の抱卵数は年齢による違いもあるが、産卵の主群となる2、3歳魚では50万~100万粒を数える。受精卵は分離浮性卵で、卵径0.93~1.25ミリメートルの球形をしている。水温20℃で約50時間で孵化(ふか)し、全長3ミリメートルの仔魚が産まれる。沿岸の表層でプランクトン生活を送りながら急速に成長し、全長50ミリメートルごろまでにほぼ成魚に近い体形になり、外海に移動する。発生した年の末には20センチメートル、翌年末には28センチメートル、満3年で33センチメートルに達する。早い個体では1歳で成熟するが、過半数の成熟は2歳以上である。成熟の最小体長は雌で257ミリメートル程度である。食性は発育とともに変化する一方、季節的にも餌料(じりょう)組成が変わる。稚魚期までは小形の橈脚(とうきゃく)類(ケンミジンコやイカリムシなど)を主体に動物性餌料を捕食する。その後、イワシ類、アミ類、枝角(しかく)類(ミジンコやエボシミジンコなど)などへ食性の範囲を広げ、外洋に移動したころにはオキアミ類、カタクチイワシ、マイワシ、アジ、イカ類をおもな餌(えさ)とする。植物プランクトンは冬期に多く摂取される。越冬期と回遊期とでは生息する環境が違うために、餌の組成にも相違がみられる。ゴマサバとタイセイヨウサバの生活史も、基本的にはマサバと同じものとみなすことができる。
[沖山宗雄]
漁場が広く、漁期が長いために種々の漁具漁法が利用されているが、近年のサバ漁業は近代的装備を有する巻網船による漁獲が中心となっている。灯火を併用したハネ釣りも地域によっては行われているが、これは産卵群を対象にした漁法であるという制約がある一方、省力化の指向のなかで衰退しつつある。サバ類の総漁獲量は1970年代は年間100万~150万トン前後を維持していたが、80年代以降は減り続け、2000年代に入ってからは25万~35万トン前後となっている。この90%以上が一隻巻き、二隻巻きを含む巻網漁業によって漁獲されている。漁場は太平洋岸では黒潮の内側沿岸水帯に沿って陸岸から10~20マイル前後にあるが、主漁場の太平洋中区では200メートル等深線または多くの島の周りに漁場が発達する。
サバ類は代表的な大衆魚であり、鮮魚でまたは煮て食用にされる。サバ釣りは、引きが強いので案外人気がある。ビシ釣りが一般的で、イカ角切りや赤・黄色ゴム片を鉤(はり)につける。サビキ釣りは、魚皮付の鉤が連らなる。
[沖山宗雄]
サバは平安時代には中男(ちゅうなん)作物(令(りょう)制で中男に課した租税)に指定され、地方から都に送られていたことが『延喜式(えんぎしき)』にみえる。能登(のと)、周防(すおう)、讃岐(さぬき)、伊予、土佐などの国が多く貢献した。江戸時代の『日本山海名産図会(ずえ)』には「鯖(さば)、丹波(たんば)、但馬(たじま)、紀州、熊野より出す。其(そ)のほか能登を名品とす」とある。サバは生食よりも塩漬けにした刺鯖(さしさば)が好まれた江戸時代には、盂蘭盆(うらぼん)の7月15日にハスの葉に包んだ強飯(こわいい)を膳(ぜん)に盛ったが、同時に刺鯖もハスの葉に包んで添え、これを荷供御(はすのくご)(蓮飯(はすのいい))と称した。
サバは脂肪分の多いものが美味である。とくに秋になると脂がのり、脂肪分の非常に高いものは目が乳白色に濁ってみえるほどになる。秋に味がよくなるのはマサバで、ゴマサバは一年中味の変化が少ない。またサバにはうま味成分が多く、肉の味がよいが、一方では酵素力が非常に強く、漁獲後短時間のうちに酵素分解が進む。とくにサバの肉にはアミノ酸の一種であるヒスチジンが多く、これが酵素によってヒスタミンに変化する。ヒスタミンはアレルゲンとして、アレルギー性の人にとってはその反応をおこす原因となる。生きのよいサバでも、人によっては腹痛やじんま疹(しん)が出たりすることから、「サバの生き腐れ」といわれるようになった。
皮につやがあり、目がくぼんでいないもの、えらぶたの赤い色がさえているものが新鮮である。サバは短時間に味が変化するから、新しい間に開くか三枚におろし、軽く塩をし、冷蔵しておくとよい。また加熱し、調理してしまえば味の変化が少ない。料理としては、塩焼き、煮つけ、みそ煮、マリネ、バター焼き、あるいは塩でしめてのち、酢の物、きずし(しめさば)などにもする。
サバには多くの郷土料理がある。京都の棒ずし、高知の姿ずしなどは押しずしの地方名物となっている。また、サバを箱型に押したすしをバッテラともよぶ。大阪では船場(せんば)汁が有名であり、これは昔、大阪の古い問屋町である船場で奉公人たちに、サバのあらと大根を煮た汁を食べさせたのでこの名がある。塩さばをぶつ切りにし、短冊に切ったダイコン、昆布とともに煮る。仕上げにしょうゆをすこし加える。サバの味がだしとなってたいへん味がよい。
サバには加工食品が多い。水煮缶詰、味つけ缶詰、塩蔵品、さば節などがある。さば節はだしがよく出るので、うどんのだしなどにもほかの節と混合して使用される。しかしにおいがやや強く、くせがある。
[河野友美・大滝 緑]
「サバの生き腐れ」という諺(ことわざ)があるように、サバはいたみやすく、魚商人が難所を通りかねてぐずぐずしている間に腐ってしまうという「サバ腐らし石」が、佐賀県唐津市、長崎県西彼杵(にしそのぎ)郡、南高来(みなみたかき)郡などにある。また、徳島県の八坂八浜(やさかやはま)などには、商人が1匹のサバを旅僧に献じなかったためにそのウマが腹痛をおこしたという「鯖大師」の伝説があり、このサバを手にした石仏にサバを献じると、腹痛のときに霊験があるとされている。東京の新橋には鯖稲荷(さばいなり)とよばれる祠(ほこら)があり、ここにサバの図の絵馬を奉納すると歯痛が治るというが、サバという歯にちなんだ音に由来する俗信である。
昔は若狭(わかさ)(福井県)でとれたサバは、塩をふられて夜通し歩いて京へ運ばれたが、その小浜(おばま)(福井県)から京都への最短コースは「鯖の道」といわれ、ちょうど京に着くころ絶好の食べどきとなった。西日本では盆魚(ぼんぎょ)とよんで、盆の贈答品に刺鯖(塩鯖)を用いるが、京都の祭礼に鯖ずしは欠かせないものである。
[矢野憲一]
マレーシア東部、ボルネオ島北東部にある州。19世紀後半、ブルネイのスルタンからイギリスに割譲され、1963年までイギリス領北ボルネオであったが、同年マレーシアに編入された。面積7万3802平方キロメートル(ラブアン島を含む)、人口244万9389(2000)。州都はコタ・キナバル(旧名ジェッセルトン)。地形は、ボルネオの脊梁(せきりょう)山脈が大半を占め、ボルネオ島最高峰のキナバル山(4094メートル)もここにある。海岸はこの山系が海に没して多くの深い湾をつくり、複雑な海岸線を形成する。気候は高温多湿で、密林が全土の80%を占める。
住民の3分の2はマレー系で、そのなかには人口で最大のカダザン、海岸や内陸部に住むサマ(バジャウ)、ドゥスン、ムルートなどの諸民族を含む。さらに中国系住民も約22%に達している。1974年からマレー語が公用語となった。主要都市は海岸またはその近くに発達しており、コタ・キナバルをはじめサンダカン、タワオ、クダトなどがある。
サバの資源で最大なものは森林で、木材は輸出の過半数を占め、これについでやし油、ゴム、水産物、コプラなどがある。輸入では開発に伴う機械類、建築材、食料品などが多い。コタ・キナバル―サンダカン間などに密林を開いての道路網の建設が盛んに進められている。教育でも州政府は各地に職業学校を設け、また保健上はマラリア、結核の撲滅対策に力を注ぐなど、近代化に努めている。木材の輸出やサンダカン、タワオを基地とするマグロ、カツオ漁業などで日本との関係が密接である。
[別技篤彦]
スズキ目サバ科サバ亜科に属する海産魚の総称。日本近海にはマサバScomber japonicus,ゴマサバS.australasicus,およびグルクマRastrelliger kanagurtaの3種が分布する。このうち,グルクマは熱帯系で沖縄以南に分布し,漁獲量も少ないため,ふつうサバといえばマサバとゴマサバを指す。両種は外観がよく似ており,別名マサバはヒラサバ,ゴマサバはマルサバといわれるように体型が異なること,またマサバは背部に黒色の波状紋があるのに対し,ゴマサバは体側と腹面に小黒点があることなどで経験的に区別はされるが,外形からは判別が困難な場合もある。厳密には,背部の背びれをささえている骨の数がマサバでは16以下,ゴマサバでは17以上,第1背びれの棘(きよく)数がマサバでは10以下,ゴマサバでは11以上などにより区別される。マサバは北千島列島から南は東シナ海,台湾,さらにフィリピンまでの,だいたい黒潮流域内に分布が広がるが,その主勢力は日本本土周辺域に限定される。一方,ゴマサバは三陸沖から台湾にまで分布するが,主生息域は山陰から九州西岸および四国から九州南岸,東シナ海に至る海域である。また,マサバはゴマサバより相対的に冷水温を好み(多獲時の水温は14~18℃),比較的沿岸性が強いのに対し,ゴマサバは適水温が高く(多獲時の水温は19~25℃),沖合性が強い。さらに,垂直的にも分布が多少ずれていて,ゴマサバはマサバより上層に分布する傾向がある。漁獲統計上は両種は区別されないことが多い。両種とも全長45cmほどになり,体重1kgに達する。
マサバにはいくつかの系群が認められている。もっとも大きな資源量をもつとされるのが太平洋系群で,次いで西日本のうちの九州西部群となる。このほか,対馬暖流群(北方群と南方群がある),太平洋南部群,東シナ海西部および南部群などがある。しかし,これらの群れはまったく混じり合わないというものではなく,資源の大きさや環境条件の変化によって混合する。産卵期は南方域で早く,北方域で遅れる傾向があるが,全体としては1~8月の長期にわたる。太平洋群では3~5月が産卵期で4月がピークとなる。1匹の親は直径1mmほどの卵を1回に10万~40万粒抱卵し,水中に放卵する。卵は平均20.5℃の水温で45時間ほどで孵化(ふか)し,稚仔魚(ちしぎよ)は発育しながら,海水の活動にそって広く分布する。夏以降約10cmほどに成長した当年生れが定置網などで漁獲される。成長のよいものは1年で20cmを超える。生後3年で30cm以上となり成魚となる。7歳では40cm以上となり,ごくまれに50cm以上,2kgを超えるものが漁獲される。南北回遊を行い,冬季は南へ,夏季には北へ移動する。一方,ゴマサバの産卵期は11~6月の長期にわたるが,盛期は4月ころで,南で早く北では遅い。産卵親魚は2~3歳が主体となる。餌は魚体の大きさや季節によって変化するが,マサバ成魚ではオキアミ,橈脚(じようきやく)類(コペポーダ)などのプランクトン,カタクチイワシやハダカイワシなど小型魚類,小型のイカ類が主体となる。
日本漁業の重要な対象魚の一つで,近年はほとんど大型,中型の巻網漁船で漁獲される。また,灯火で魚を集めて釣る〈はね釣り〉漁業は,関東や中部近海,東シナ海で産卵群をねらって漁獲する。1968年以降100万tを超す漁獲量があり,日本沿岸,沖合漁業でもっとも多獲される魚種の一つである。サバ漁獲量の90%はマサバと推定される。利用方法は昔から発達しているが,〈サバの生き腐れ〉という表現があるように,急速な鮮度低下が利用上の問題となることが多い。また,遊離のヒスチジンが多いので,アレルギー源となるヒスタミンを生じやすく,蕁麻疹(じんましん)の原因となることがある。料理は,和風ではしめサバ,みそ煮,塩焼き,サバずしなど,洋風では,洋酒煮,網焼き,フライなどにされる。干物,さば節などの塩干品でも美味であり,また,缶詰としても大量に消費される。夏季を除けば一般にマサバのほうがゴマサバより美味とされる。
執筆者:谷内 透
古くから重要な食品で,《延喜式》によると,能登,周防,讃岐,伊予,土佐の諸国から中男作物として貢納され,能登鯖は天皇の供御ともされた。しかし,《古事談》に〈鰯は良薬たりと雖も公家に供えず,鯖は苟物たりと雖も供御に備う〉という文章があるように,サバを下賤な魚とする観念も古く胚胎していたようである。また,《今昔物語集》などによると,平安後期にはサバ売の行商人がいたらしいことがうかがわれる。《料理物語》(1643)は,サバの料理としては沖なますや酢煎(すいり)がよいとしている。沖なますは作り身にしてタデ,シソなどをあらく切り入れたなます,酢煎は酢でいりつけてしょうゆをかけるといったものである。現在では塩焼き,みそ煮,しめサバ,船場(せんば)汁,サバずしなどにされることが多い。京都名物として知られるサバずしは,若狭の浜でとれたばかりのものに薄塩を施して運んだひと塩のサバを三枚におろして,ていねいに骨を除き,2~3時間酢につけてから,棒状ににぎり固めた酢飯の上にのせる。この上に白板コンブを張りつけることもある。これを竹の皮でしっかり包んで軽いおもしをかけ,味をなれさせてから食べる。
執筆者:鈴木 晋一
西日本各地では盆の季節にサシサバの習俗があり,2匹のサバの開きを頭のところで刺し合わせ中元の贈物とするほか,盆中に両親のある者がいただく。結婚式に2匹の魚を並べるのと同じく,生物の雌雄を並べて生々繁殖の祝意を示すもので,いわゆる生魂(いきみたま)の贈物の一例といえる。そのほか神祭にサバずしを必ずつくって供える土地は西日本に多い。多数が一時に漁獲されるので,計算に際して2,3匹を串にまとめて一つと称することから多めにみつもることを〈サバをよむ(数える)〉というともいわれる。これは漁獲物の一部を舟子,網子たちが無償でもち帰るカンダラという風習と関連するとも思われる。
一方,古い街道筋の要所である坂や峠に僧がサバを手にもつ像を祭って〈鯖大師〉と呼び,弘法大師が旅僧の姿でサバ1匹を請うたのに,商人または馬子が荷物のサバを与えなかったために罰せられたという伝説を伝えている場合がある。徳島県海部郡海陽町の旧海南町鯖瀬の八坂八浜の伝承は代表的であるが,これは坂や峠の神に食物の初穂を供える風習と,これを仏教で生飯(さば)と称したことが転訛(てんか)してこの伝説となったらしい。
執筆者:千葉 徳爾
マレーシア最東端,ボルネオ島北東部にある州。南部はインドネシアと国境を接している。面積7万4000km2,人口260万(2000)。州都はコタ・キナバル。住民は土着のカダザン(ドゥスン)族(28%)が最も多く,次いで華人(21%),バジャウ族(12%)となり,マレー人は増加しつつあるがまだ3%にすぎない。1970年代になってフィリピン南部からのイスラム教徒難民が激増している。18世紀後半よりイギリスの勢力下にはいり,1963年マレーシア連邦結成に加わり植民地から脱した。全般に山がちで,長いあいだ交通は海路にたより,都市は海岸にのみ発達していた。独立後,内陸開発をめざして道路整備が進められ,キナバル山麓のかつての焼畑地帯に高原野菜産地が出現し,東部山地の森林資源利用が盛んになるなど,産業活動に変化が生じてきた。さらに海岸地方を中心にカカオ,アブラヤシの農園が拡大され,ゴム,ココヤシ,マニラ麻をしのぐ輸出品の生産が目だってきた。カカオ農園の労働者にはインドネシア人が導入されている。工業は海岸諸都市の林産加工以外に見るべきものはない。経済的には国内,近接諸国よりは,日本,香港,シンガポールとの結びつきのほうが強い。ほとんどの生活用品を海外および半島マレーシアより購入するため,州の物価は国内で最も高い。国際航空路線はコタ・キナバルよりシンガポール,ジャカルタ,マニラ,香港,台北,ソウルへ直結している。
執筆者:太田 勇
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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「マサバ」のページをご覧ください。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ボルネオ北東部に位置するマレーシアの州。19世紀中頃まではブルネイ王国やスールー王国の緩やかな支配下にあった。1881年ブルネイ王国から北ボルネオ特許会社へ割譲され,それ以後イギリス領北ボルネオとなる。1963年にマレーシアに加わりサバ州となった。カダザンドゥスン人やバジャウ人などの非マレー系住民が多数を占める。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
1913 -
クウェート国籍。
クウェート国王。
1955年クウェート最高執政評議委員を経て、’62年副首相となる。’63年から2年間首相を務め、’65年父である前国王の死去に伴い、’65年11月国王の座に即位する。
出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報
…イギリス領北ボルネオ(現在のマレーシアのサバ州)の反乱指導者。スールー族とバジャウ族の混血として生まれ,ボルネオ島北東部のスグト川上流の村の支配者であった。…
…島嶼部は二つの対照的な地形の地域に分かれている。サバ州は山がちで北西部に最高峰キナバル山(4101m)がそびえ,東海岸は水深の大きい湾入が多い。サラワク州は大部分の土地が標高300m以下,国内最大の河川ラジャン川流域には広大な低湿地が広がる。…
… ミレシェボ,ソポチャニなどの修道院に残るフレスコ画の数々は,セルビア中世美術の傑作として名高い。近代以降では,大作《ドゥシャン法典の発布》《セルビア民族の移動》を描いたヨバノビッチPaja Jovanović(1859‐1957),パリに学んだシュマノビッチSava Šumanović(1896‐1942)らが注目に値する。 音楽の分野では,民謡や教会音楽をモティーフに多くの合唱曲を残したモクラニャツStevan Mokranjac(1856‐1914)が傑出している。…
…最高峰はコソボ西部のプロクレティイェProkletije山塊にあるモンテネグロ,アルバニアとの3国国境のジェラビツァDjravica山(標高2656m)。平地は,北方のハンガリー平原の一部をなすボイボディナ一帯や,サバ川流域のマチュバMačva地方(中心地はシャバツŠabac),モラバ川流域のポモラブリェPomoravlje地方(パラチンParaćin,チュプリヤĆuprija,スベトザレボSvetozarevo)などに見られる。河川は,北のハンガリーから流入するドナウ川がボイボディナ地方でティサ川と合し,ベオグラードに至り西方からのサバ川を加え,スメデレボSmederevoで南方から北流するモラバ川を得て,ルーマニアとの国境を南東流する。…
…キリストが4月初めにアンナス(祭司の長)からカヤパ(祭司の長)のところに,カヤパからピラト(ユダヤの総督)に,ピラトからヘロデ王に,ヘロデ王からふたたびピラトにもどされたので,そのキリスト受難の故事を記念して,他人をむだに歩かせるようになったとの説もある。 なおフランスでは四月ばかをポアソン・ダブリルPoisson d’avrilとよんでいるが,これは〈4月の魚〉という意味でサバ(マクローmaquereau)をさしている。サバは4月になるとたくさん釣られ食料にされるので,4月1日にだまされる人を4月の魚というとする説や,4月になると太陽がうお座をはなれるので,それが起源だとの説もある。…
…〈さんばん〉ともいい,三飯,散飯,三把とも書く。仏教では衆生の飯米の意で,餓鬼や鬼子母神に供えるため,食膳に向かうときに少量取りわけた飯をいい,屋上や地上に投げ散らす。民俗儀礼としては神や尊者にささげる米や飯のことで,お初穂の意味である。神の前にまいたり供えたりする。関西地方で盆や正月に,健康でいる両親や親方に塩鯖,刺鯖を贈る習俗があるが,目上の人に生飯を贈ることが転じて鯖になったものである。【坪井 洋文】…
…奈良時代にはカツオの煮汁が調味料として登場し,ところてんの製造もはじまった。鎌倉・室町時代になるとクラゲ,ホヤ,ウナギ,サメ,イルカ,コンブなどが新たに利用されるようになり,加工品では塩干しアユ,塩引きサケ,アジずし,塩蔵サバ,このわた(ナマコの腸の塩辛),サメやイルカの肉の塩干し品が作られた。江戸時代にはマツモ,アラメ,ワカメ,コンブの乾燥品が多く出回り,寒天を作る技術も確立した。…
…弘法大師,元三(がんざん)大師,善導大師など各宗派の祖や高僧に対する信仰をさすが,大師信仰として一括されるのは,これらの基底にオオイコ(大子)として神の子や遊行の神が村に現れるとする信仰があるとされるからである。この傾向はとくに弘法大師に強い。 弘法大師(空海)は真言宗の祖であるわけだが,伝記については,まだ不明の部分がある。とくに修行時代は不明なので,古くから弘法大師が各地に現れて,奇跡を行ったとする伝説は多い。…
※「さば」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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