翻訳|mackerel
スズキ目サバ科サバ亜科に属する海産魚の総称。日本近海にはマサバScomber japonicus,ゴマサバS.australasicus,およびグルクマRastrelliger kanagurtaの3種が分布する。このうち,グルクマは熱帯系で沖縄以南に分布し,漁獲量も少ないため,ふつうサバといえばマサバとゴマサバを指す。両種は外観がよく似ており,別名マサバはヒラサバ,ゴマサバはマルサバといわれるように体型が異なること,またマサバは背部に黒色の波状紋があるのに対し,ゴマサバは体側と腹面に小黒点があることなどで経験的に区別はされるが,外形からは判別が困難な場合もある。厳密には,背部の背びれをささえている骨の数がマサバでは16以下,ゴマサバでは17以上,第1背びれの棘(きよく)数がマサバでは10以下,ゴマサバでは11以上などにより区別される。マサバは北千島列島から南は東シナ海,台湾,さらにフィリピンまでの,だいたい黒潮流域内に分布が広がるが,その主勢力は日本本土周辺域に限定される。一方,ゴマサバは三陸沖から台湾にまで分布するが,主生息域は山陰から九州西岸および四国から九州南岸,東シナ海に至る海域である。また,マサバはゴマサバより相対的に冷水温を好み(多獲時の水温は14~18℃),比較的沿岸性が強いのに対し,ゴマサバは適水温が高く(多獲時の水温は19~25℃),沖合性が強い。さらに,垂直的にも分布が多少ずれていて,ゴマサバはマサバより上層に分布する傾向がある。漁獲統計上は両種は区別されないことが多い。両種とも全長45cmほどになり,体重1kgに達する。
マサバにはいくつかの系群が認められている。もっとも大きな資源量をもつとされるのが太平洋系群で,次いで西日本のうちの九州西部群となる。このほか,対馬暖流群(北方群と南方群がある),太平洋南部群,東シナ海西部および南部群などがある。しかし,これらの群れはまったく混じり合わないというものではなく,資源の大きさや環境条件の変化によって混合する。産卵期は南方域で早く,北方域で遅れる傾向があるが,全体としては1~8月の長期にわたる。太平洋群では3~5月が産卵期で4月がピークとなる。1匹の親は直径1mmほどの卵を1回に10万~40万粒抱卵し,水中に放卵する。卵は平均20.5℃の水温で45時間ほどで孵化(ふか)し,稚仔魚(ちしぎよ)は発育しながら,海水の活動にそって広く分布する。夏以降約10cmほどに成長した当年生れが定置網などで漁獲される。成長のよいものは1年で20cmを超える。生後3年で30cm以上となり成魚となる。7歳では40cm以上となり,ごくまれに50cm以上,2kgを超えるものが漁獲される。南北回遊を行い,冬季は南へ,夏季には北へ移動する。一方,ゴマサバの産卵期は11~6月の長期にわたるが,盛期は4月ころで,南で早く北では遅い。産卵親魚は2~3歳が主体となる。餌は魚体の大きさや季節によって変化するが,マサバ成魚ではオキアミ,橈脚(じようきやく)類(コペポーダ)などのプランクトン,カタクチイワシやハダカイワシなど小型魚類,小型のイカ類が主体となる。
日本漁業の重要な対象魚の一つで,近年はほとんど大型,中型の巻網漁船で漁獲される。また,灯火で魚を集めて釣る〈はね釣り〉漁業は,関東や中部近海,東シナ海で産卵群をねらって漁獲する。1968年以降100万tを超す漁獲量があり,日本沿岸,沖合漁業でもっとも多獲される魚種の一つである。サバ漁獲量の90%はマサバと推定される。利用方法は昔から発達しているが,〈サバの生き腐れ〉という表現があるように,急速な鮮度低下が利用上の問題となることが多い。また,遊離のヒスチジンが多いので,アレルギー源となるヒスタミンを生じやすく,蕁麻疹(じんましん)の原因となることがある。料理は,和風ではしめサバ,みそ煮,塩焼き,サバずしなど,洋風では,洋酒煮,網焼き,フライなどにされる。干物,さば節などの塩干品でも美味であり,また,缶詰としても大量に消費される。夏季を除けば一般にマサバのほうがゴマサバより美味とされる。
執筆者:谷内 透
古くから重要な食品で,《延喜式》によると,能登,周防,讃岐,伊予,土佐の諸国から中男作物として貢納され,能登鯖は天皇の供御ともされた。しかし,《古事談》に〈鰯は良薬たりと雖も公家に供えず,鯖は苟物たりと雖も供御に備う〉という文章があるように,サバを下賤な魚とする観念も古く胚胎していたようである。また,《今昔物語集》などによると,平安後期にはサバ売の行商人がいたらしいことがうかがわれる。《料理物語》(1643)は,サバの料理としては沖なますや酢煎(すいり)がよいとしている。沖なますは作り身にしてタデ,シソなどをあらく切り入れたなます,酢煎は酢でいりつけてしょうゆをかけるといったものである。現在では塩焼き,みそ煮,しめサバ,船場(せんば)汁,サバずしなどにされることが多い。京都名物として知られるサバずしは,若狭の浜でとれたばかりのものに薄塩を施して運んだひと塩のサバを三枚におろして,ていねいに骨を除き,2~3時間酢につけてから,棒状ににぎり固めた酢飯の上にのせる。この上に白板コンブを張りつけることもある。これを竹の皮でしっかり包んで軽いおもしをかけ,味をなれさせてから食べる。
執筆者:鈴木 晋一
西日本各地では盆の季節にサシサバの習俗があり,2匹のサバの開きを頭のところで刺し合わせ中元の贈物とするほか,盆中に両親のある者がいただく。結婚式に2匹の魚を並べるのと同じく,生物の雌雄を並べて生々繁殖の祝意を示すもので,いわゆる生魂(いきみたま)の贈物の一例といえる。そのほか神祭にサバずしを必ずつくって供える土地は西日本に多い。多数が一時に漁獲されるので,計算に際して2,3匹を串にまとめて一つと称することから多めにみつもることを〈サバをよむ(数える)〉というともいわれる。これは漁獲物の一部を舟子,網子たちが無償でもち帰るカンダラという風習と関連するとも思われる。
一方,古い街道筋の要所である坂や峠に僧がサバを手にもつ像を祭って〈鯖大師〉と呼び,弘法大師が旅僧の姿でサバ1匹を請うたのに,商人または馬子が荷物のサバを与えなかったために罰せられたという伝説を伝えている場合がある。徳島県海部郡海陽町の旧海南町鯖瀬の八坂八浜の伝承は代表的であるが,これは坂や峠の神に食物の初穂を供える風習と,これを仏教で生飯(さば)と称したことが転訛(てんか)してこの伝説となったらしい。
執筆者:千葉 徳爾
マレーシア最東端,ボルネオ島北東部にある州。南部はインドネシアと国境を接している。面積7万4000km2,人口260万(2000)。州都はコタ・キナバル。住民は土着のカダザン(ドゥスン)族(28%)が最も多く,次いで華人(21%),バジャウ族(12%)となり,マレー人は増加しつつあるがまだ3%にすぎない。1970年代になってフィリピン南部からのイスラム教徒難民が激増している。18世紀後半よりイギリスの勢力下にはいり,1963年マレーシア連邦結成に加わり植民地から脱した。全般に山がちで,長いあいだ交通は海路にたより,都市は海岸にのみ発達していた。独立後,内陸開発をめざして道路整備が進められ,キナバル山麓のかつての焼畑地帯に高原野菜産地が出現し,東部山地の森林資源利用が盛んになるなど,産業活動に変化が生じてきた。さらに海岸地方を中心にカカオ,アブラヤシの農園が拡大され,ゴム,ココヤシ,マニラ麻をしのぐ輸出品の生産が目だってきた。カカオ農園の労働者にはインドネシア人が導入されている。工業は海岸諸都市の林産加工以外に見るべきものはない。経済的には国内,近接諸国よりは,日本,香港,シンガポールとの結びつきのほうが強い。ほとんどの生活用品を海外および半島マレーシアより購入するため,州の物価は国内で最も高い。国際航空路線はコタ・キナバルよりシンガポール,ジャカルタ,マニラ,香港,台北,ソウルへ直結している。
執筆者:太田 勇
セルビア教会の独立を実現させた教会指導者,聖人。セルビア王ステファン・ネマーニャの三男,俗名ラストコRastko。アトス山で修道士となり,1208年に帰国。当時のセルビアはローマ教会と東方正教会の両勢力のはざまに置かれていたが,サバは,国教として東方正教の採用を考え,ニカエア王国に働きかけ,1219年に初代セルビア大主教に任命された。かくしてセルビアの教会は独立を獲得し,カトリック教会の勢力は減退した。また,彼は多数の宗教書を翻訳し,父の生涯《聖シメオン伝》をまとめるなどして文語を確立,セルビア人に最も尊敬される聖人となった。
執筆者:田中 一生+森安 達也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ボルネオ北東部に位置するマレーシアの州。19世紀中頃まではブルネイ王国やスールー王国の緩やかな支配下にあった。1881年ブルネイ王国から北ボルネオ特許会社へ割譲され,それ以後イギリス領北ボルネオとなる。1963年にマレーシアに加わりサバ州となった。カダザンドゥスン人やバジャウ人などの非マレー系住民が多数を占める。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
1913 -
クウェート国籍。
クウェート国王。
1955年クウェート最高執政評議委員を経て、’62年副首相となる。’63年から2年間首相を務め、’65年父である前国王の死去に伴い、’65年11月国王の座に即位する。
出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報
…イギリス領北ボルネオ(現在のマレーシアのサバ州)の反乱指導者。スールー族とバジャウ族の混血として生まれ,ボルネオ島北東部のスグト川上流の村の支配者であった。…
…島嶼部は二つの対照的な地形の地域に分かれている。サバ州は山がちで北西部に最高峰キナバル山(4101m)がそびえ,東海岸は水深の大きい湾入が多い。サラワク州は大部分の土地が標高300m以下,国内最大の河川ラジャン川流域には広大な低湿地が広がる。…
… ミレシェボ,ソポチャニなどの修道院に残るフレスコ画の数々は,セルビア中世美術の傑作として名高い。近代以降では,大作《ドゥシャン法典の発布》《セルビア民族の移動》を描いたヨバノビッチPaja Jovanović(1859‐1957),パリに学んだシュマノビッチSava Šumanović(1896‐1942)らが注目に値する。 音楽の分野では,民謡や教会音楽をモティーフに多くの合唱曲を残したモクラニャツStevan Mokranjac(1856‐1914)が傑出している。…
…最高峰はコソボ西部のプロクレティイェProkletije山塊にあるモンテネグロ,アルバニアとの3国国境のジェラビツァDjravica山(標高2656m)。平地は,北方のハンガリー平原の一部をなすボイボディナ一帯や,サバ川流域のマチュバMačva地方(中心地はシャバツŠabac),モラバ川流域のポモラブリェPomoravlje地方(パラチンParaćin,チュプリヤĆuprija,スベトザレボSvetozarevo)などに見られる。河川は,北のハンガリーから流入するドナウ川がボイボディナ地方でティサ川と合し,ベオグラードに至り西方からのサバ川を加え,スメデレボSmederevoで南方から北流するモラバ川を得て,ルーマニアとの国境を南東流する。…
…キリストが4月初めにアンナス(祭司の長)からカヤパ(祭司の長)のところに,カヤパからピラト(ユダヤの総督)に,ピラトからヘロデ王に,ヘロデ王からふたたびピラトにもどされたので,そのキリスト受難の故事を記念して,他人をむだに歩かせるようになったとの説もある。 なおフランスでは四月ばかをポアソン・ダブリルPoisson d’avrilとよんでいるが,これは〈4月の魚〉という意味でサバ(マクローmaquereau)をさしている。サバは4月になるとたくさん釣られ食料にされるので,4月1日にだまされる人を4月の魚というとする説や,4月になると太陽がうお座をはなれるので,それが起源だとの説もある。…
…〈さんばん〉ともいい,三飯,散飯,三把とも書く。仏教では衆生の飯米の意で,餓鬼や鬼子母神に供えるため,食膳に向かうときに少量取りわけた飯をいい,屋上や地上に投げ散らす。民俗儀礼としては神や尊者にささげる米や飯のことで,お初穂の意味である。神の前にまいたり供えたりする。関西地方で盆や正月に,健康でいる両親や親方に塩鯖,刺鯖を贈る習俗があるが,目上の人に生飯を贈ることが転じて鯖になったものである。【坪井 洋文】…
…奈良時代にはカツオの煮汁が調味料として登場し,ところてんの製造もはじまった。鎌倉・室町時代になるとクラゲ,ホヤ,ウナギ,サメ,イルカ,コンブなどが新たに利用されるようになり,加工品では塩干しアユ,塩引きサケ,アジずし,塩蔵サバ,このわた(ナマコの腸の塩辛),サメやイルカの肉の塩干し品が作られた。江戸時代にはマツモ,アラメ,ワカメ,コンブの乾燥品が多く出回り,寒天を作る技術も確立した。…
…弘法大師,元三(がんざん)大師,善導大師など各宗派の祖や高僧に対する信仰をさすが,大師信仰として一括されるのは,これらの基底にオオイコ(大子)として神の子や遊行の神が村に現れるとする信仰があるとされるからである。この傾向はとくに弘法大師に強い。 弘法大師(空海)は真言宗の祖であるわけだが,伝記については,まだ不明の部分がある。とくに修行時代は不明なので,古くから弘法大師が各地に現れて,奇跡を行ったとする伝説は多い。…
※「サバ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
一粒の種子をまけば万倍になって実るという意味から,種まき,貸付け,仕入れ,投資などを行えば利益が多いとされる日。正月は丑(うし),午(うま)の日,2月は寅(とら),酉(とり)の日というように月によって...
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