似我与左衛門(読み)じが・よざえもん

朝日日本歴史人物事典 「似我与左衛門」の解説

似我与左衛門

没年:天正8(1580)
生年永正3?(1506)
戦国時代の太鼓役者。前名与五郎国広祖父観世座小鼓の名手,与五郎吉久(美濃権守)。父は太鼓役者の次郎大夫国忠(法名宗〓)。6世観世大夫元広の娘婿足利義晴・義輝・義昭の3代の室町将軍の周辺で活動,特に義輝からは囃子方にとって最高の栄誉とされる浅葱の調べ緒の使用を許されるなどの愛顧を受けた。義輝時代から細川藤孝(のちの幽斎)の太鼓の師となり,伝書を相伝するなど,ふたりの師弟関係は長期にわたって続いた。彼の手による20点近くの伝書類は『国広伝書』と総称され,その資料的価値は高い。

(石井倫子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「似我与左衛門」の解説

似我与左衛門 じが-よざえもん

1506-1580 戦国-織豊時代の能役者太鼓方。
永正(えいしょう)3年生まれ。観世(かんぜ)吉久の孫。観世流太鼓方宗家4代。将軍足利義輝(よしてる)から名人として浅葱(あさぎ)の調緒(しらべお)の使用をみとめられる。細川幽斎の太鼓の師。「四座役者之目録」やおおくの太鼓技法の伝書をあらわした。天正(てんしょう)8年死去。75歳。本姓は檜垣本(ひがいもと)。名は国広。

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