朝日日本歴史人物事典 「坂東秀調(2代)」の解説
坂東秀調(2代)
生年:嘉永1.11(1848)
明治期の歌舞伎役者。本名水田由次郎。力士雪の森角蔵の子として名古屋に生まれる。嘉永6(1853)年名古屋で初舞台を踏み,青年期は大坂で修業。初名市川米丸,のちに米十郎。明治6(1873)年上京して12代目守田勘弥の弟子分となり,坂東しう調,秀調と改める。悪声のうえに逆さ瓢箪とあだ名された長くしゃくれた顔で,華やかな役より年増役,女房役を得意としたが,技倆に優れた女形として新富座,歌舞伎座など一流の劇場で重く扱われた。故実にも通じ,数々の役で「秀調型」と呼ばれる演出を今日に残している。秀調の名跡は昭和62(1987)年襲名の5代目におよぶ。<参考文献>伊原敏郎『明治演劇史』,「歌舞伎劇の女形」(『演芸画報』1920年10月号)
(石橋健一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報