平経俊(読み)たいらのつねとし

朝日日本歴史人物事典 「平経俊」の解説

平経俊

没年:元暦1.2.7(1184.3.20)
生年:生年不詳
平安末期の武将平経盛の子。経正の弟で,敦盛の兄。治承2(1178)年1月に伊賀守となる。時に従五位下。同3年11月には父経盛が知行国主だった若狭国の守となるが,平家一門と行動を共にし,元暦1(1184)年一の谷の戦で経正,敦盛らと共に戦死した。『平家物語』によれば,淡路守清房,尾張守清定と3騎で敵の中に駆け入り,さんざんに戦ったのちに討死したというが,経正や敦盛に比べると,その実像は今ひとつ明らかではない。

(土谷恵)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平経俊」の解説

平経俊 たいらの-つねとし

?-1184 平安時代後期の武将。
平経盛の子。伊賀守(いがのかみ),若狭守(わかさのかみ)を歴任。寿永2年平氏一門とともに都落ちし,3年2月7日一ノ谷の戦いで討ち死にした。

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