慈助法親王(読み)じじょほうしんのう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「慈助法親王」の解説

慈助法親王 じじょほうしんのう

1254-1295 鎌倉時代,後嵯峨(ごさが)天皇の第12皇子。
建長6年生まれ。母は藤原公子(こうし)。天台宗弘長(こうちょう)元年比叡(ひえい)山の尊助法親王弟子となり,文永2年得度,親王となる。正応(しょうおう)2年(1289)天台座主(ざす)となり,翌年再任された。永仁(えいにん)3年7月27日死去。42歳。通称は市河宮。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android