比治山(読み)ひじやま

日本歴史地名大系 「比治山」の解説

比治山
ひじやま

[現在地名]南区比治山公園

古くは広島湾頭に浮ぶ島で、藩政時代には御建山とされた。「知新集」に「むかし此所に比治何某といふもの住ける故名つくるなりとそ、しかれとも何のよりところもなく土人の聞伝のみなり、窃に謂へらくこの山峻ならすして横へ長く、其形肱を横たへたるか如き故に名つくるにもあらんか」とされ、「肱山」「秘地山」とも記される。別に臥虎がこ山・山とも称され、藩儒者坂井華(号臥虎山・虎山)・津村尚誼(号聖山)の号にもとられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「比治山」の意味・わかりやすい解説

比治山 (ひじやま)

広島市の市街地東部にある小台地。南北1km,東西0.5km,標高60~70m。広島城築城のころは広島湾中の島であったが,17世紀前半の干拓により太田川三角州と陸続きとなった。1932年公園として整備された。原爆被災の折,この山の遮蔽効果によって東側の段原町一帯が被爆から免れた。山頂に放射線影響研究所がある。北西麓の多聞院には広島藩儒頼春水(らいしゆんすい)(山陽の父)ら頼氏一族の墓がある。南麓には縄文時代比治山貝塚がある。
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世界大百科事典(旧版)内の比治山の言及

【広島平野】より

…藩政期を通じて前面の干潮平地(干潟)が干拓され,明治以降は埋立てが行われた結果,現在の陸地面積は城下町成立前の3倍を超えている。市内随一の眺望地比治山をはじめ江波山,黄金山などは干拓により三角州の中に繰り入れられたかつての島である。 低湿な三角州のただ中に建設された城下町広島にとって,洪水は宿命的な災害であった。…

※「比治山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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