源仲国(読み)みなもとのなかくに

朝日日本歴史人物事典 「源仲国」の解説

源仲国

生年生没年不詳
平安末期・鎌倉初期の後白河院の有力近習。父は河内守光遠。院細工所別当を務めるほか,御堂建立や御所の修理などに実務能力を発揮した。後白河法皇死後,妻が同法皇の託宣を受けたと称して種々の妖言をなし,世間を騒がせたために,建永1(1206)年に解官され,院細工所別当の地位藤原忠綱にとってかわられた。なお仲国の妻は,後白河院寵妃の丹後局(高階栄子)の縁者で,この託宣事件の背後には丹後局がいたともいわれている。

(本郷恵子)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源仲国」の解説

源仲国 みなもとの-なかくに

?-? 平安後期-鎌倉時代の官吏
源光遠の子。宇多源氏。妻は丹後局(たんごのつぼね)の縁者。備前,若狭(わかさ),伊勢(いせ)の国守,刑部大輔(たいふ)などを歴任。後白河院の近臣で院細工所別当。院の託宣と称して御廟建立をとなえ,妖言とされて建永元年(1206)妻とともに追放された。

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