朝日日本歴史人物事典 「竹本大隅太夫(3代)」の解説
竹本大隅太夫(3代)
生年:安政1(1854)
明治期の義太夫節の太夫。本名井上重吉。大坂の生まれ。18歳の明治4(1871)年,プロを志して5代目竹本春太夫に入門,竹本春子太夫となる。17年,博労町稲荷北門に開場中の彦六座で3代目を襲名,同時に文楽座から2代目豊沢団平を迎えて相三味線とし,厳しい修業を重ねた。20年,「三拾三所花野山」の「沢市内の段」(通称「壺坂」)で大当たりをとったのち,文楽座の2代目竹本越路太夫(のちの摂津大掾)と人気を二分した。23年彦六座3代目紋下(技芸の統率者)に就任する。芸一筋のひたむきな生活を送った割には報われず,台湾巡業中に病没した。十八番の「壺坂」ほかがレコードに残っている。<参考文献>「名家真相録」(『演芸画報』1909年9月号)
(倉田喜弘)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報