竹本 春子太夫(3代目)
タケモト ハルコダユウ
- 職業
- 義太夫節太夫(文楽)
- 本名
- 坂本 竹一
- 別名
- 前名=竹本 三木太夫,豊竹 呂賀太夫,豊竹 松太夫
- 生年月日
- 明治42年 6月20日
- 出生地
- 兵庫県 淡路島
- 経歴
- 昭和2年淡路の人形芝居の竹本三笠太夫に入門、三木太夫を名乗る。15年3代目豊竹呂太夫に入門、豊竹呂賀太夫を名乗り、16年初舞台。18年松太夫と改名。27年鶴沢清六を相三味線とし、薫陶をうけた。35年3代目竹本春子太夫を襲名。
- 没年月日
- 昭和44年 4月26日 (1969年)
竹本 春子太夫(2代目)
タケモト ハルコダユウ
- 職業
- 義太夫節太夫(文楽)
- 本名
- 福井 清吉
- 生年月日
- 慶応3年 2月9日
- 出生地
- 大阪府 南船場
- 経歴
- 明治18年3代目竹本大隅太夫に入門。同門の伊達太夫とともに大阪の堀江座に出演、文楽座と対抗した。悪声だったが、相三味線の豊沢新左衛門に助けられ、春子節といわれる独自の節回しで評判となった。師の死後は近松座を離れず、門弟育成に尽力した。得意の語り物は「酒屋」「千本」の鮨屋、「妻八」の鰻谷など、世話物をよくした。
- 没年月日
- 昭和3年 5月5日 (1928年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
竹本 春子太夫(3代目)
タケモト ハルコダユウ
昭和期の義太夫節太夫(文楽)
- 生年
- 明治42(1909)年6月20日
- 没年
- 昭和44(1969)年4月26日
- 出生地
- 兵庫県淡路島
- 本名
- 坂本 竹一
- 別名
- 前名=竹本 三木太夫,豊竹 呂賀太夫,豊竹 松太夫
- 経歴
- 昭和2年淡路の人形芝居の竹本三笠太夫に入門、三木太夫を名のる。15年3代目豊竹呂太夫に入門、豊竹呂賀大夫を名のり、16年初舞台。18年松太夫と改名。27年鶴沢清六を相三味線とし、薫陶をうけた。35年3代目竹本春子太夫を襲名。
竹本 春子太夫(2代目)
タケモト ハルコダユウ
明治・大正期の義太夫節太夫(文楽)
- 生年
- 慶応3年2月9日(1867年)
- 没年
- 昭和3(1928)年5月5日
- 出生地
- 大阪・南船場
- 本名
- 福井 清吉
- 経歴
- 明治18年3代目竹本大隅太夫に入門。同門の伊達太夫とともに大阪の堀江座に出演、文楽座と対抗した。悪声だったが、相三味線の豊沢新左衛門に助けられ、春子節といわれる独自の節回しで評判となった。師の死後は近松座を離れず、門弟育成に尽力した。得意の語り物は「酒屋」「千本」の鮨屋、「妻八」の鰻谷など、世話物をよくした。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
竹本春子太夫(2代) たけもと-はるこだゆう
1867-1928 明治-大正時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
慶応3年2月9日生まれ。義太夫節。明治18年3代竹本大隅太夫(おおすみだゆう)に入門,竹本伊達太夫(6代土佐太夫)とともに大阪堀江座の双璧(そうへき)と称せられ,文楽座に対抗した。悪声だったが,春子節といわれる節まわしで評判をとった。昭和3年5月5日死去。62歳。大坂出身。本名は福井清吉。
竹本春子太夫(3代) たけもと-はるこだゆう
1909-1969 昭和時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
明治42年6月20日生まれ。義太夫節。淡路(あわじ)の竹本三笠太夫に入門,竹本三木太夫を名のる。のち3代豊竹呂太夫(10代豊竹若太夫)に入門し,豊竹呂賀太夫の名で昭和16年大阪文楽座に出演。18年豊竹松太夫と改名,35年3代を襲名。昭和44年4月26日死去。59歳。兵庫県出身。本名は坂本竹一。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
世界大百科事典(旧版)内の竹本春子太夫の言及
【竹本大隅太夫】より
…本名井上重吉。19歳のとき5世竹本春太夫に入門し,竹本春子太夫を名のる。1884年に3世襲名,90年に彦六座の櫓下(やぐらした)となった。…
※「竹本春子太夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」