(1)人形浄瑠璃。世話物。1段。角書〈卅三所花の山〉。通称《壺坂》。原曲は1875年ごろに書かれた浄瑠璃《観音霊場記》に2世豊沢団平・加古千賀女(ちかじよ)夫妻が補訂・作曲を施し,79年10月に大阪大江橋席で初演されたものだが,その後,改めて団平が作曲をし直した87年2月大阪稲荷彦六座上演のおりのものが,現行曲として定着した。3世竹本大隅太夫と団平の演奏が好評を博し,明治期以降の新作の中では代表的な人気曲となっている。女房お里の貞節と信心とに感じた壺坂観音の霊験によって座頭沢市の目が開くという物語。素朴な庶民夫婦の愛情の描写に特色があり,なかでもお里のクドキが美しい。(2)歌舞伎狂言。世話物。88年春,上記の浄瑠璃に悪人などを書き加えた改作が,5世坂東簑助により京都四条道場芝居で演ぜられた。なお,これ以前にも同素材のものが上演されていたといわれ,また,現在ではもっぱら浄瑠璃に忠実な脚色のものが行われている。
執筆者:原 道生
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浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。世話物。一段。通称「壺坂」。原作者未詳。2世豊沢団平(とよざわだんぺい)と妻加古千賀(かこちが)の改作。1879年(明治12)10月、大阪・大江橋席初演。4年ほど前に書かれた浄瑠璃『観音(かんのん)霊場記』を団平夫妻が補訂作曲したものだが、その後団平が改曲し、87年2月の大阪・彦六座で「卅三所(さんじゅうさんしょ)花の山」のうち「沢市(さわいち)内の段」として上演したのが現行曲となった。大和(やまと)国壺坂の里に住む座頭(ざとう)沢市は、妻お里が夫の眼(め)のあくよう毎夜壺坂寺の観世音へ祈願しているのを知ってその貞節に感謝し、2人で壺坂へ詣(もう)でるが、しょせん治らぬ眼病と思い、女房の幸せのためと覚悟して谷底へ身を投げ、お里も後を追うと、観世音が奇瑞(きずい)を現して夫婦の命を助け、沢市の眼を開かせる。3世竹本大隅(おおすみ)太夫と団平の演奏が評判で義太夫節の人気曲となる。翌88年には、歌舞伎(かぶき)にも移された。簡潔な構成ながら、素朴な夫婦愛の美しさが長所で、夫に操を疑われたお里が泣いて潔白を訴える「三つ違いの兄(あに)さんと」以下のクドキが有名。
[松井俊諭]
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…壺阪観音,あるいは南法華寺ともいい,江戸時代までは〈坂〉の字を用いた。千手観音を本尊とし,西国三十三所第6番の札所で,眼病に霊験があるといわれ,お里・沢市の《壺坂霊験記》は有名である。創建についてはつまびらかでないが,境内より白鳳期の古瓦が出土し,貞慶の《南法花寺古老伝》には703年(大宝3)に僧弁基の建立とか,弁基と尼善心の2人の共建と伝えている。…
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