笠原小杵(読み)かさはらのおき

朝日日本歴史人物事典 「笠原小杵」の解説

笠原小杵

生年生没年不詳
6世紀初めの武蔵国(東京都,埼玉県,神奈川県の一部)の首長。『日本書紀』によれば,同族である笠原直使主と長年にわたり国造地位を争ったが,決着が困難なため,結びつきを持つ上毛野(群馬県)の首長上毛野君小熊にひそかに援助を求め,使主を殺そうと計画した。しかし,大和王権を頼った使主が国造となり,小杵は誅殺された。このころの武蔵地域には,小杵,使主など基盤を異にする複数の首長がいた。小杵と使主の抗争は,地域における首長間の争いが当事者では解決されず,大和王権がこれに介入して地域首長の統合を図ったことを示している。<参考文献>鈴木靖民「南武蔵と大和王権」(『川崎市史』通史編1)

(平野卓治)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「笠原小杵」の解説

笠原小杵 かさはらの-おき

?-535* 6世紀前半の豪族
武蔵国造(むさしのくにのみやつこ)の一族。同族の笠原使主(おみ)と国造の地位をあらそう。使主を殺そうとはかったが,使主が大和朝廷支援をうけて国造となり,小杵は安閑天皇元年閏(うるう)12月殺害されたという。

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