菊竹淳(読み)きくたけすなお

日本大百科全書(ニッポニカ) 「菊竹淳」の意味・わかりやすい解説

菊竹淳
きくたけすなお
(1880―1937)

新聞記者。号は六鼓(ろっこ)。明治13年1月25日福岡県生まれ。1903年(明治36)東京専門学校早稲田(わせだ)大学の前身)卒業後、『福岡日日新聞』(現、西日本新聞)に入社。編集長、副社長、主筆を務める。1932年(昭和7)の五・一五事件に際し「敢(あえ)て国民覚悟を促す」の社説軍部攻撃議会政治擁護の論陣を張ったことは有名。昭和12年7月21日没。郷里うきは市吉井町に菊竹六鼓記念館がある。

[春原昭彦]

『木村栄文編著『六鼓菊竹淳』(1975・葦書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菊竹淳」の解説

菊竹淳 きくたけ-すなお

1880-1937 明治-昭和時代前期の新聞記者。
明治13年1月25日生まれ。36年福岡日日新聞社(西日本新聞社の前身)に入社。昭和4年編集局長。7年五・一五事件に際し,一連論説をかいて議会政治を擁護し,軍部の政治介入を批判した。10年副社長。昭和12年7月21日死去。58歳。福岡県出身。東京専門学校(現早大)卒。号は六皷。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android