近代憲法の統治機構において,議会は,国家機構の正当性根拠である国民を代表する地位に立ち,特に普通選挙の確立後は,国民の意思を反映するという建前のもとで,多かれ少なかれ,国政運営の中心的役割を演ずる。議会が立法権(少なくともその重要部分)や予算審議権をにぎっている場合をひろく指して,議会制あるいは議会政治というときと,さらに進んで,議院内閣制の機構によって議会が行政権の存立を左右するまでに決定的なはたらきをする場合を,特にそう呼ぶときがある。いずれにしても,議会政治という言葉は,議会が多かれ少なかれ国政の中心的役割を演ずる制度の,運営面に着目して用いられることが多い。そして,その意味で,議会政治は,とりもなおさず政党政治である。ところで,議会政治ないし政党政治のモデルとされてきたのは,イギリスであった。
イギリスにおいて制限選挙制のもとでは,もっぱら〈教養と財産〉をもつものが議員となり,深刻な党派利害が争われることは少なかった。また,1832年の第1次選挙法改正に始まる一連の改革によって,事実上,男子普通選挙制が実現されてゆくが,普通選挙制のもとでも,議会には,根本的な世界観の対立はもちこまれず,政党の組織化もそれほどには進んでいなかったから,自由な討論による議会意思の形成という建前から大きくはずれるような状況とはならなかった。こうして,19世紀中葉以降のイギリス下院をモデルとしてえがかれる,議会政治の典型像が成立する。与野党議員が向かいあい,それぞれのリーダーが最前列にいて討論の応酬をするという議場配置は,討論による統治への信頼を具体化するイメージとして,(向かいあった議席の中間に引かれた線が,かつては,剣をぬいて争っても刃先がとどかないだけの距離を示すものだったという言い伝えとともに)世に有名である。議長Speakerの権威が高く,その地位にある議員に対しては,反対党の側でも対立候補を立てないという慣行があったことも,よく知られている。もっとも,イギリスでも,1880年代に,アイルランド問題が紛糾し,アイルランド国民党に属する議員たちのはげしい議事妨害が行われ,それに対抗するものとして,討論終結制が採用され,少数意見の表明に対する一定の制限が導入される,という事情があった。
日本でも,議会政治という言葉は,広狭二つのニュアンスで用いられる。広い意味では,〈代議政治〉とほぼ同義に用いられ,選挙によって選出された議会(少なくとも下院)が立法権(少なくともその主要部分)をにぎることによって国政の大綱を決定できるようなあり方をさし,狭い意味では,〈議院政治〉とほぼ同義に用いられ,大臣責任制すなわち議院内閣制の運用をさしたのである。大日本帝国憲法のもとでの立憲学派の学説や民本主義論の主張,およびそれに対応する護憲運動は,帝国憲法の枠のなかで〈代議政治〉を前提としつつ〈議院政治〉をも実現してゆこうとする努力にほかならなかった。日本国憲法によって,国会は〈国権の最高機関〉(41条)とされ,議院内閣制の機構も明文(66条3項ほか)で定められて,〈代議政治〉さらには〈議院政治〉の前提は,制度的に確立された。しかも,議会にはほぼ一貫して安定した与党が存在し,そのうえに基礎をおく安定政権が存在してきたから,〈議院政治〉の意味での〈議会政治〉があらためて問題とされることは少なかった。かえって,〈代議政治〉という意味での〈議会政治〉の実質的なあり方をめぐって,与野党間の関係や金権・腐敗などが,問題とされつづけてきたことに,戦後の特色がある。
とりわけ,1950年代は,講和問題に始まる基本的な外交路線と防衛政策の選択をめぐって,あるいは,〈戦後改革の見直し〉に関する諸立法をめぐって(破防法,教育二法,警察法の制定,警職法改正の審議未了),与野党がきびしく対立し,しばしば,〈乱闘国会〉ないし〈変則国会〉といわれるような事態があらわれた。そのピークが,日米安全保障条約改定の承認案件をめぐっての,与野党の激突と,大衆運動の高揚であった。案件の衆議院での与党による強行単独採決(1960年5月19日)から,参議院での自然成立(6月18日)まで,国会周辺を中心として大規模の大衆デモが連日くり返された。世論は,単独強行採決を,〈議会政治を破るもの〉として政府・与党を批判したが,他方で,〈声なき声〉を援用しつつ,野党のすわりこみや院外での大衆行動を,〈それこそ議会政治を破るもの〉として非難する反論もあり,ここで,〈議会政治〉は,対立する双方の側によって援用されたのであった。単純化していえば,前者は討論と妥協の政治,後者は多数決政治のシンボルとして,それぞれに〈議会政治〉を掲げたのである。60年以後は,一つには,その経験から教訓をくみとった与党の国会運営によって,他方では日中国交回復に見られるように外交上の争点をめぐる対立の緩和によって,与野党の対立は,それほど激化してはこなかった。しかし,(1)長期にわたって政権交代のないこと--とりわけ,その現実的可能性もとぼしかったこと--によって,野党の政治批判能力が弱化し,(2)それとも密接に関連するが,さらに,政治理念上の争点が後景にしりぞき,政治過程が利益配分をめぐって争われるようになるとともに,政治の金権化が構造的に進行してきている点が,大きな問題点となっている。そのうえ,(3)〈議会政治〉の共通の土俵となるべき憲法についての合意が与野党間に成立していないことが,日本の議会政治にとって,基本的な問題点としてのこされている。
→議会 →国会 →政党政治
執筆者:樋口 陽一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
国民が選出する代表者が構成する議会において、法律を制定したり、国の政治の大綱について討議・決定したりする統治方式。議会政治における政治運営はほとんどの場合、議院内閣制と政党政治の組合せによって行われている。
[田中 浩]
…こうした無限軌道的な循環が円滑に機能していくことへの期待のうえに,〈最悪の議院Chambreといえども,最良の側近政治antichambreにまさる〉といわれるような,議会への信念が成立する。
【議会政治と政党のありかた】
権力の正当性の根拠である国民の意思を反映しているというたてまえのもとで,議会は国政機構のなかで,程度の差はあれ,中心的な地位を占める。議会が立法権の全部,あるいは少なくとも主要部分(行政権の側に立法の停止的拒否権がある場合など)を手中にするということ自体,国政機構における中心的地位を保障するが,それに加えて議院内閣制,とりわけ一元主義型の議院内閣制の構造が採用されている場合には,行政権をコントロールする議会の優越度はいっそう強くなる。…
※「議会政治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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