改訂新版 世界大百科事典 「π 錯体」の意味・わかりやすい解説
錯体 (パイさくたい)
π complex
π結合をもつ分子,とくに比較的大きなπ電子共役系をもつ分子は,電子親和力の大きい原子・分子,あるいは逆にイオン化ポテンシャル(イオン化エネルギー)が小さい原子・分子と弱い力で結合した分子錯体を形成する傾向がある。このような分子錯体をπ錯体という。π錯体には,結晶として取り出すことができるものも多いが,溶液中では錯体が形成されるが結晶として取り出すことができないものも少なくない。結晶状で得られるπ錯体の代表的なものとしては,ヒドロキノン-キノン錯体(キンヒドロン)が知られている。一般にπ錯体は,その構成成分にはない錯体に特徴的な吸収帯を可視領域にもち,強く着色している。このような吸収帯の出現や構成成分間の結合力は,電荷移動理論によって説明される。それによると,イオン化ポテンシャルが低く電子供与体になりやすい分子をD,電子親和力が大きく電子受容体になりやすい分子をAと表すと,錯体DAの基底電子状態は,DとAが単に分散力などで結合している非結合状態(D…A)と電子がDからAに移った電荷移動状態(D⁺-A⁻)の量子力学的共鳴で表現され,この効果によって錯体が安定化されるものと考えられている。電荷移動相互作用は,電子供与体のイオン化ポテンシャルが低く電子受容体の電子親和力が大きいほど顕著になるが,大きなπ電子共役系をもつ分子は,供与体としても受容体としても働くことができる。π錯体のなかには化学反応の中間体としての役割を果たすものもあり,また,π錯体の結晶には有機半導体として興味ある性質を示すものも多い。
→電荷移動錯体
執筆者:黒田 晴雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報