改訂新版 世界大百科事典 「アイディット」の意味・わかりやすい解説
アイディット
Dipa Nusantara Aidit
生没年:1923-65
インドネシア共産党の指導者。スマトラのメダンで農園労働者の子として生まれる。ジャカルタの商業学校に入学するが中退。1939年から政治運動に参加。43年にインドネシア共産党に入党。日本占領下では,ジャカルタの海軍武官府に付置された独立養正塾に学ぶ。45年8月から民族革命に参加。47年党中央委員。51年,マディウン事件で壊滅した党を再建,政治局員となる。53年にはオランダ植民地時代からの古い党員アリミンらから指導権を奪い,党の大衆路線をうちたて書記長となり,青年幹部の指導体制をつくる。アイディットの共産党はインドネシア国民党とスカルノ大統領を支持し,公称360万党員と2000万人の大衆団体をもつ,資本主義世界最大の共産党となった。スカルノもアイディットを国民協議会副議長,閣僚などの政府要職につけ,叙勲し,身近に置いた。スカルノ政府の左傾化を意図した,と言われる九月三〇日事件にかかわり,中部ジャワで捕らえられた後,国軍兵士に射殺された,と言われる。新興国の民族ブルジョアを支持しながら民族民主国家をつくろうとした〈アイディット主義〉共産党路線の挫折であり,その評価は今日まで大きく分かれている。
執筆者:増田 与
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報