改訂新版 世界大百科事典 「マディウン事件」の意味・わかりやすい解説
マディウン事件 (マディウンじけん)
1948年9月18日深夜,インドネシア,東部ジャワのマディウン市で,人民民主戦線派の軍(ダフラン中佐指揮の第29旅団)が起こした反中央政府のクーデタ。人民民主戦線は前首相シャリフディンが同年2月に結成した組織で,共産党,社会党などが中核であった。この日,マディウンにはスパルディを首席とするシャリフディン派の政権がつくられ,中部・東部ジャワの各都市にその動きが広がっていった。ジョクジャカルタにいた大統領スカルノは翌19日の放送で,中央政府への軍民の支持を呼びかけた。軍主流はただちに作戦を開始し,9月30日マディウンに進攻,反乱軍を破り,共産党の最高指導者ムソやシャリフディン,サルジョノ,スティアジット,スマルソノらを逮捕・処刑するか,戦場で倒した。この内戦によりインドネシア共和国の軍事力が弱体化したときをねらって,オランダ軍は12月19日,空挺部隊を用いて共和国の当時の首都ジョクジャカルタを占領,スカルノら共和国首脳を捕らえ,第2次侵攻作戦を全面的に発動し,共和国は崩壊の危機に直面した。しかし,共和国軍の根強い抵抗と国際世論の非難に押されて,49年7月にオランダはスカルノらを釈放し,8月には停戦した。1947年のコミンフォルムの成立とともに打ち出されたジダーノフの〈二つの陣営論〉によれば,インドネシアはベトナムとともに社会主義平和戦線の一員として位置づけられていた。しかし,この事件とともに,ジダーノフ理論は東南アジアでは崩れ去った。
執筆者:増田 与
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報