日本大百科全書(ニッポニカ) 「アサシン派」の意味・わかりやすい解説
アサシン派
あさしんは
Assassins
イスラム教イスマーイール派の分派、ニザール派のヨーロッパにおける異称。シリア地方のニザール派に対して、他のイスラム教徒が軽蔑(けいべつ)的に与えた名称「ハシーシー」hashīshī(大麻野郎)が、十字軍によってヨーロッパに伝えられ、アッサシーノassassino(イタリア語)、アサシンassassin(英語)などになった。十字軍の伝えたこの派の暗殺戦術が、ヨーロッパ人の空想力を刺激して、この語は、14世紀ごろからしだいに「暗殺者」を意味する普通名詞となった。
ニザール派の創始者はハサン・サッバーフである。彼は最初イスマーイール派の宣教師であったが、1094年エジプト(イスマーイール派の本拠地)に内紛が起こり、カリフの正統長子ニザール殺害を機にエジプトから断絶、独自の宣教活動を始めた。イラン北部エルブルズ山脈中のアラムートの要塞(ようさい)を本拠とし、一時はイラン各地、シリアにまで広がり、多数の要人を暗殺した。しかし1256年、モンゴル帝国のイラン征服でアラムートも攻略され、ニザール派の政治的活動は終わったが、インドのムンバイ(ボンベイ)を中心に、パキスタン、シリア、イランなどに少数派として現存している。
なお、マルコ・ポーロが西欧に伝えた、アラムートの城に住む「長老」と彼の秘密の楽園の伝説は、十字軍によって伝えられていたシリアのアサシン派の伝説とともに、ヨーロッパの「アサシン伝説」のもとになった。
[竹下政孝]