アジア諸国の主要幹線道路を結ぶ国際道路網計画。貿易や観光の振興を図ることを目的としたこの計画は、1959年にオーストラリアのブロード・ビーチで開かれた、第15回国連アジア極東経済委員会(現在のアジア太平洋経済社会委員会、略称ESCAP=エスカップ)総会で採択され、発足した。
計画当初、その対象地域は、西はイランから東はベトナムまで、南はインドネシアまでの15か国であり、路線数は41、総延長は6万6000キロメートルであった。1981年にフィリピンが計画に参画。1970年代から1980年代前半にかけては、ベトナム戦争、ソ連軍のアフガニスタン侵攻、イラン・イラク戦争など国際情勢の影響を受け、計画は遅々として進まなかった。しかし、冷戦構造の終焉(しゅうえん)により、1990年代に入って新たな進展がみられるようになった。1988年に中国、1990年にモンゴルが計画に参画。さらに、1995年にはカザフスタンなど中央アジア7か国が加わり、加盟国は25か国となった。これを機会に道路網の再編成がなされ、42路線、総延長9万キロメートルの新計画が策定された。1995年の時点での整備状況は、全延長の約70%が2車線舗装道路で、中央分離帯のある4車線道路はまだ一部の区間にしかない。残りは1車線舗装道路または砂利道であるが、雨季には通行できない区間や、路線がつながっていない区間が約10%ある。当面は、2車線舗装道路を最低基準として整備が進められている。
今後の課題としては、援助を含めた建設資金の確保、国境通過手続きの簡略化、国際自動車保険制度の導入、沿道サービス施設の充実、路線地図の整備などがあげられる。将来この計画は、ロシアおよび東アジアのほかの国々へ拡大される可能性がある。
[佐藤 清]
計画延長42路線9万kmのアジアの国際道路網。うち5路線4万kmが国際幹線,37路線5万kmが地域幹線で通過国は25ヵ国である。1959年以来アジア極東経済委員会(ECAFE。のちのESCAP(エスキヤツプ))が中心となり,国連開発計画(UNDP)の資金援助を得てその推進を図った。イラン等の中東3ヵ国,インド等の南アジア4ヵ国,インドネシア等の東南アジア8ヵ国と,新たに参加した中国,モンゴル,ミャンマーの計18ヵ国を結ぶ。A1号,A2号という東西を貫く二大幹線を軸にした42路線からなり,古代シルクロードの現代版とも言える。その整備に当たっては,各首都をつなぐ路線,主要な産業中心地への路線,主要港湾やコンテナーターミナル等への路線,ヨーロッパ国際道路への接続などに重点が置かれている。現在A1号,A2号の8割以上が2車線の舗装道路として整備されているが,通行困難区間も残り,とくにミャンマー横断部分の見通しが立たなかったために,まだ東西の貫通は実現していない。国連の援助が打ち切られて,整備は一時停滞したが,1990年代に再活性化の時代にはいった。将来は東西南北の格子状のネットワークへの再編成が構想されている。
執筆者:武田 文夫
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