知恵蔵 「アジア通貨基金」の解説 アジア通貨基金 1997年7月のタイ・バーツ切り下げを契機に始まったアジア通貨危機勃発直後に、日本政府から提案された構想。再びアジア地域で通貨危機が発生した場合に備えて、速やかに緊急支援を行える枠組みを設けるという趣旨であったが、米国などの反対にあって頓挫した。IMFと機能が重複すること、IMFよりも緩やかな条件で融資が行われるとモラルハザードを引き起こす懸念があること、などが指摘された。しかし、ロシア、ブラジルにまで通貨危機が波及、IMFだけでは迅速に危機を解決しえない状況が発生し、IMFを補完する地域金融協力の枠組みの必要性が再認識された。2000年5月に、チェンマイ・イニシアチブが合意されたが、こうした認識の変化を踏まえIMFとの補完性を重視しつつ具体的な合意を見たものである。 (絹川直良 国際通貨研究所経済調査部長 / 2007年) 出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報 Sponserd by