アラブ音楽(読み)アラブおんがく

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アラブ音楽」の意味・わかりやすい解説

アラブ音楽
アラブおんがく

西アジアから北アフリカ一帯におけるアラブ民族の音楽。イラクからモロッコにいたるアラブ諸国で,おのおのの地域的な相違はあるにせよ,共通の言語,文学および理論体系に基づき,ほぼ一様の楽器を用いて行われている古典音楽をおもにいう。今日の演奏からみて,アラブの音楽はエジプト,シリア,イラクを中心とする東方の伝統と,モロッコ,アルジェリアチュニジアなど西方 (マグレブ) のアンダルース音楽の伝統との2つの流れに大別できる。両者に共通する重要な特徴は,マカームに基づく半音以下の微小音程を含む旋法,およびイーカーに基づくリズム型の体系であり,またその両者とアラブ古典詩の組合せによって統一された大規模な多楽章の形式である。イスラム以前のアラブの音楽についてはあまり知られていない。7世紀に始るイスラムは,その征服事業の結果サラセン帝国の版図に入ったペルシアビザンチンの高い音楽文化とじかに接することになり,アラブの芸術音楽の開花を促すことになる。アッバース朝カリフの都バグダードではイスハーク・アルマウシリー,西のウマイヤ朝の都コルドバではジルヤーブのごとき大音楽家が活躍した。特にアッバース朝全盛期には,ギリシアの諸学芸を受継ぎ音楽理論を展開させた哲学者が輩出した。とりわけキンディー,ファーラービー,アビセンナらの著述は重要である。 13世紀中葉にバグダードはイル・ハン国に滅ぼされるが,この頃にはサフィー・ウッディーン,クトゥブ・ウッディーン,アブダル・カーディルらペルシア系の音楽理論家の活躍が目立ち,以後アラブ音楽は停滞期に入る。 16世紀にオスマン帝国がアラブ世界の大半をその支配下に入れてからは,スルタン宮廷でトルコ音楽が行われるようになり,各地のアラブの古典音楽はトルコの影響を受けて今日にいたる。今日演奏される重要な形式は,東方では楽器独奏のタクシーム,合奏のバシュラフ,声楽ラヤーリーなど,また西方では多楽章のカンタータ風のナウバ (グラナダのナウバ) である。古典音楽に用いられる弦楽器には,ウード,カーヌーン,ラバーブ,西洋のバイオリンなどがあり,ナーイという縦笛,ダラブッカという片面鼓,ドゥッフまたはタールと呼ばれるタンブリンもアラブ諸国に共通して用いられる。また,これらの楽器を主体とする合奏の伴奏で,今日各地のナイトクラブで行われる官能的な女性のベリー・ダンスもアラブ諸国に共通なものといえる。

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