中央アジア,カザフスタン共和国の中心的都市。旧称アルマ・アタAlma-Ataを1993年改称。同共和国の首都であったが,1997年末に北部のアクモラAkmola(1998年アスタナAstanaと改称。アスタナの2004年人口52万)への遷都が実行された。人口117万5260(2004)。ザイリスキー・アラタウ山脈の北のふもとにある。1854年カザフ人の遊牧民の集落アルマータ(〈リンゴの地〉の意)に,この地を併合したロシア軍が戦略上・植民上の前進根拠地〈ベールノエ(忠誠の地)〉を建設した。67年これがベールヌイVernyi市と改称され,セミレチェンスク州の州都となった。この市は87年と1911年(震度10)の2度にわたる大地震にみまわれ,そのつど壊滅したが,技師ゼンコーフA.P.Zenkovの建てた木造の聖堂は11年の地震にも耐え,今日も残っている(現在は共和国中央博物館)。人口は1897年が2万3000,1917年が3万4000で,ロシア革命後もこの市はあまり変化を示さなかった。しばしば流刑地として用いられ,流されてきた代表的人物はトロツキーで,28年2月より1年を過ごした。29年5月カザフ共和国の首都がクジル・オルダよりここに移され,30年トルクシブ鉄道(トルクメン~シベリア)が開設されたあとは,ロシア化,工業化の波を受けるようになった。機械製造工業,軽工業(肉・果実缶詰コンビナート,タバコ,製糖,織物)が発達し,39年には人口22万2000に達した。とくに第2次大戦中モスクワ,レニングラードから多くの機関が疎開してきたことは大きな影響を与えた。戦争の初期,モスクワ近郊の防衛戦でこの市に本拠をもつパンフィーロフ記念第8近衛師団の兵28人が壮烈な玉砕をとげた。彼らの栄誉をたたえる記念碑が,〈ロシアは広い,しかし,われわれには後退するところがない。うしろはモスクワだ〉という政治委員の言葉を刻んで中央公園に建てられている。旧ソ連邦のアジアへの窓として開発が進められ,カザフ大学(1934創立)などの大学,高等専門学校,研究所,科学アカデミー,図書館,などをもつ学術・文化の中心地となっている。ドンブロフスキーの小説《古文化保管人》は1930年代のアルマ・アタを舞台としている。また同市近郊のメデオMedeo(標高1529m)のスケートリンクは,氷質が良く,スピード競技の好記録がでることで知られる。ペレストロイカ期の86年12月,党指導者のカザフ人からロシア人への交代人事を契機に青年・学生の暴動が起こった。
→カザフスタン
執筆者:和田 春樹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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