アスタナ(読み)あすたな(英語表記)Астана/Astana

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アスタナ」の意味・わかりやすい解説

アスタナ
Astana

カザフスタンの首都。同国の中北部,イシム川に臨み,ペトロパブロフスクカラガンダをつなぐカザフスタン鉄道と,パブロダールとロシアのマグニトゴルスクをつなぐ南シベリア鉄道が交差する。1961年までアクモリンスク Akmolinskと呼ばれ,以降 1961~92年ツェリノグラード Tselinograd,1992~98年アクモラ Aqmola,2019~22年ヌルスルタン Nur-Sultanと名称を変えた。
1824年にロシアの前哨基地として建設され,1868年に行政中心地となった。ソビエト連邦時代の 1939年に州(オブラスチ oblast)の主都となった頃には人口が 3万3000人に達した。1950年代半ばのソ連政府が主導する「処女地開拓」政策により,さらに 1960~65年,カザフ=ソビエト社会主義共和国の北部 5州を統合する地方(クライ kray)の中心都市としての役割により,その重要性が増した。当時の名称ツェリノグラードは「未開拓地の都市」を意味する。1992年,カザフスタンの独立に伴い,アクモラに改称。1997年,首都がアルマトイからアクモラに移されたが,アクモラがカザフ語で「白い墓」を意味することから,1998年に「首都」を意味するアスタナに改称された。
ヌルスルタン・ナザルバエフ大統領の統治下,莫大な石油収入が都市建設や機能拡充にあてられ,建築家の黒川紀章立案の都市計画マスタープランに従って,市街地を貫く広い大通りの周辺に大統領官邸をはじめ金色や青色の建物が配置された。また,イギリスの建築家ノーマン・フォスター設計の「平和と調和宮殿」も建てられ,高さ 62mのピラミッド形の建物には図書館やオペラハウスなど各種施設が入居した。ナザルバエフ大統領退任の 2019年3月20日,都市の発展に尽力した大統領に敬意を表するかたちで都市名がファーストネームのヌルスルタンに改められたが,2022年9月に再びアスタナに戻された。多くの住民が鉄道関係の職業に従事する。また,各種の農業機械の生産も盛んである。人口 118万4469(2021推計)。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アスタナ」の意味・わかりやすい解説

アスタナ
あすたな
Астана/Astana

中央アジア、カザフスタン共和国の首都。特別都市。イシム川上流部右岸に位置する。人口31万9318(1999年)、110万7270(2019推計)。トランスカザフスタン鉄道と南シベリア鉄道の分岐点。おもな工業は精肉、製粉油脂などの農畜産物加工業と、農業機械や建設資材の製造業である。旧ソ連における農業プロジェクト「処女地開拓」の全国運動開始後の1960年に、好適地として多数が入植した。北カザフスタンの農業開拓の中心都市として期待されたことから、それまでの町の名称アクモリンスクАкмолинск/Akmolinskにかわって、1961年に「処女地の町」を意味するツェリノグラードЦелиноград/Tselinogradに改められた。1991年のソ連解体後アクモラАкмола/Akmola,Aqmolaと改称、1997年にカザフスタン共和国の首都となり、翌1998年「首都」を意味するアスタナに改称。さらに2019年3月に大統領トカエフKassym-Jomart Tokayev(1953― )により、前大統領ナザルバエフの名前に由来するヌルスルタンに変更された。

[山下脩二]

 2022年、ナザルバエフが影響力を失い政界引退したため、同年9月に首都名はアスタナに戻された。

[編集部 2022年12月12日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例