アンクティル・デュペロン(読み)あんくてぃるでゅぺろん(その他表記)Abraham Hyacinthe Anquetil-Duperron

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

アンクティル・デュペロン
あんくてぃるでゅぺろん
Abraham Hyacinthe Anquetil-Duperron
(1731―1805)

フランスの東洋学者ゾロアスター教聖典『ザンド(ゼンド)・アベスタ』とバラモン教の聖典で古代インド哲学の精髄を盛るウパニシャッドを初めて西洋に紹介した。ムガル帝国の皇子モハメッド・ダーラシャコーDara Shukoh(1615―1659)がベナレスワーラーナシ)のインド人学者の助力を得てサンスクリット語よりペルシア語に訳出した50のウパニシャッドを通常ウプネカットOupnek'hatと称するが、アンクティル・デュペロンは1775年末にこのウプネカットの1写本を手に入れ、それをラテン語に翻訳、1801~1802年に2巻としてパリで出版した。哲学者ショーペンハウアーがこのウプネカットを読んで感激したことは有名であるが、その影響を受けたドイッセンによって西欧のウパニシャッド研究が本格的に始まった。

[原 實 2016年10月19日]

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改訂新版 世界大百科事典 の解説

アンクティル・デュペロン
Abraham-Hyacinthe Anquetil-Duperron
生没年:1731-1805

18世紀フランスの東洋学者。〈ザンド・アベスター〉〈ウパニシャッド〉をフランス語に訳したことで知られる。パリに生まれ,オランダの神学校でヘブライ語,アラビア語を学んだ。パリ王立図書館でペルシア語を独学している姿をコレージュ・ド・フランス教授クロード・サリエ神父に注目され東洋学者たちの知遇を得た。オックスフォード・ボドリー図書館が各国学者に解読依頼のため送ったサンスクリット写本のコピーに魅せられ,1755年インドのポンディシェリに赴いたが,イギリスとフランスの植民地抗争のためベナレス(ワーラーナシー)に行けず,6年間インドに滞在し古代イラン語を学んで帰国,多くの写本をもたらした。生涯独身で学問に専念し,高潔な人格で学者の誉れと称せられた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

アンクティル・デュペロン
Anquetil-Duperron (Abraham Hyacinthe)

[生]1731.12.7. パリ
[没]1805.1.17. パリ
フランスの東洋学者。 1754年,志願兵としてインドに渡る。アベスタのフランス語訳 (1771) ,ウパニシャッドのペルシア語訳である『ウプネカット』 Oupnek'hatのラテン語訳 (1804) をなしとげた。このラテン語訳はショーペンハウアーを驚嘆させ,西欧における東洋学研究熱を一層高めた。

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