ヒンドゥー教の前身で,しかもその核となっている宗教,社会思想。〈バラモン教Brahmanism〉という語は近代になってからの英語の造語であるが,これに最も近い意味をもつサンスクリットは,おそらく〈バイディカvaidika〉(ベーダに由来するものごと)である。つまり,バラモン教とはベーダの宗教であるといってさしつかえない。
バラモン教は,《リグ・ベーダ》《サーマ・ベーダ》《ヤジュル・ベーダ》《アタルバ・ベーダ》の4ベーダ,およびそれに付随するブラーフマナ,アーラニヤカ,ウパニシャッドを天啓聖典(シュルティ)とみなし,それを絶対の権威として仰ぐ。そして,主として,そこに規定されている祭式を忠実に実行し,現世でのさまざまな願望,また究極的には死してのちの生天を実現しようとする。祭式の場に勧請する神はさまざまであるが,なかでも火神アグニが重視された。祭壇に火をおこしてその中にバターや祭餅などを投げ込むことをホーマ(護摩)というが,これはアグニを通じて天界の神々に供物をささげることを意味する。
祭式を執行するのは司祭階級バラモン(婆羅門。サンスクリットではブラーフマナbrāhmaṇa)である。バラモンが語ることばは真実,つまり,必ずやそのことば通りにものごとを実現させる力をもつものと考えられた。神々でさえも,バラモンの真実のことばには従わなければならないわけであるから,その意味でバラモンは神々以上の存在であることになる。したがって,バラモンが怒って発する呪いのことばも,やはりまた確実に効力を発揮すると考えられた。このことばの力によって,バラモンはインド社会の最上に位置することができた。バラモンはさらに,みずからの優位性を堅牢なものにするために,バラモンを至上とする理念的な階級制度を打ち立てた。これをバルナ制(カースト制)といい,インド社会はバラモン,クシャトリヤ,バイシャ,シュードラの四つのバルナに区分され,この区分を侵すことはかたく禁じられた。またバラモン教では,バルナの成員が一生の間に踏むべき段階(生活期,アーシュラマ)が規定されている。学生期,家長期,林棲期,遊行期の四つがそれである。これをまとめてバルナ・アーシュラマ制というが,バラモン教の基本はこれを遵守することにある。
前6世紀ころから,東インドを中心に,ジャイナ教や仏教をはじめとする非バラモン教的な宗教が次々に現れた。これに対抗して,バラモンたちはみずからの教学の整備に着手し,前3~前4世紀以前には,ベーダの六つの補助学(ベーダーンガ),つまり音声学,祭事学,文法学,語源学,韻律学,天文学が確立された。このうち祭事学は,天啓経,家庭経,律法経,祭壇経の研究に当てられたものである。こうした学問的気運の中から,紀元前後には,多くの哲学体系(六派哲学)が生まれた。またバラモン教自体は,その骨格を維持しながらも,非アーリヤ的な土着の宗教と習合を重ね,遅くとも5世紀ころまでには,シバ神ないしビシュヌ神を最高神とするヒンドゥー教へと展開していった。
→ベーダ
執筆者:宮元 啓一
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古代インドにおいて、仏教興起以前に、バラモン階級を中心に、ベーダ聖典に基づいて発達した、特定の開祖をもたない宗教。およそ紀元前3世紀ころから、バラモン教がインド土着の諸要素を吸収して大きく変貌(へんぼう)して成立してくるいわゆるヒンドゥー教と区別するために西洋の学者が与えた呼称で、ブラフマニズムBrahmanismと称する。バラモン教(婆羅門教)はその邦訳語。バラモン教はヒンドゥー教の基盤をなしており、広義にヒンドゥー教という場合にはバラモン教をも含んでいる。前1500年ころを中心に、インド・アーリア人がアフガニスタンからヒンドゥー・クシ山脈を越えてインダス川流域のパンジャーブ(五河)地方に進入し、さらに東進して肥沃(ひよく)なドアープ地方を中心にバラモン文化を確立し、バラモン階級を頂点とする四階級からなる四姓制度(バルナvara)を発達させた。彼らはインドに進入する際、それ以前から長い間にわたって保持してきた宗教をインドにもちきたり、それを発展させ、進入時からおよそ前500年ころまでの間に、『リグ・ベーダ』をはじめ、ブラーフマナ、アーラニヤカ、ウパニシャッドを含む膨大な根本聖典ベーダを編纂(へんさん)した。
その内容は複雑多様であるが、彼らが進入以前から抱いていた自然神崇拝、宗教儀礼、呪術(じゅじゅつ)から高度な哲学的思弁までも包摂している。その宗教の本質は多神教であるが、『リグ・ベーダ』に端を発する宇宙の唯一の根本原理の探求はウパニシャッドにおいてその頂点に達し、宇宙の唯一の根本原理としてブラフマン(梵(ぼん))が、個人存在の本体としてアートマン(我(が))が想定され、ついには両者はまったく同一であるとする梵我一如の思想が表明されるに至った。またウパニシャッドで確立された業(ごう)・輪廻(りんね)・解脱(げだつ)の思想は、インドの思想・文化の中核となったばかりか、仏教とともにアジア諸民族に深く広い影響を与えている。ベーダの神々のなかには、帝釈天(たいしゃくてん)や弁才天のように日本で崇拝されているものもある。
[前田専學]
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インドのカーストの最上位を占めるバラモン(ブラーフマナ)が中心となる思想,宗教,文化,制度の総称。バラモン(中心)主義ともいわれる。第一に,前6世紀頃から形成されたヒンドゥー教が非バラモン的かつ土着的要素をも示すため,それ以前のヴェーダの宗教,文化を意味する。第二に,仏教,ジャイナ教が興隆し,バラモンの権威,ヴェーダの聖典性が否定されたとき,それらの回復を図るイデオロギーの総体をさす。マヌ法典の成立はこの意味でバラモン教の確立を意味する。ヒンドゥー教のすべての要素は,哲学や新たな宗教運動をも含め,バラモンたちが頼るヴェーダの権威と関係づけられることにより正統化されることになる。
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…このことは普通選挙制が実現した独立後の時期にはさらに重要となった。 ネルー時代の国民会議派の選挙における確固とした支持基盤は,彼自身の出身カーストであり知識階層の多くの人々のそれでもあるバラモン,分割後もインドに取り残されて社会的に不安定な立場にあるムスリム,ヒンドゥー社会の底辺を形づくる指定カースト(不可触民)の三つであったといわれる。この3者だけで全人口の30%をこえると推定される。…
… これらの民族語とは別に,公用語,文化語などが民族語と一部で重なりながら存在する。サンスクリットは,バラモン文化の有力な媒体の一つとして今なおインド亜大陸の多くの地域で重んじられている。ペルシア語,アラビア語はこの地域のイスラム文化を担う人々には欠かせない存在であり,ヒンディー語のもとになった方言にペルシア語,アラビア語の語彙が取り入れられてできたウルドゥー語は,パキスタンの公用語であるほかインドの文化語でもある。…
…インドではカースト集団を〈生まれ(を同じくする者の集団)〉を意味するジャーティjātiという語で呼んでいる。 一方,日本ではカーストというとインド古来の四種姓,すなわち司祭階級バラモン,王侯・武士階級クシャトリヤ,庶民(農牧商)階級バイシャ,隷属民シュードラの意味に理解されることが多い。インド人はこの種姓をバルナvarṇaと呼んできた。…
…ヒンドゥー教の前身で,しかもその核となっている宗教,社会思想。〈バラモン教Brahmanism〉という語は近代になってからの英語の造語であるが,これに最も近い意味をもつサンスクリットは,おそらく〈バイディカvaidika〉(ベーダに由来するものごと)である。つまり,バラモン教とはベーダの宗教であるといってさしつかえない。…
… 《マヌ法典》をはじめとするインドの古典によると,各バルナの義務が次のように定められている。(1)バラモン 他人のための祭式執行,ベーダ聖典の教授,布施の受納。(2)クシャトリヤ 政治や戦闘による人民保護。…
…耕作者は奴隷を使用しており,彼らの間には土地所有の大小に伴う貧富の差が発生していた。むらで祭式を行うバラモンの地位は確定しており,むらの不可欠の構成員であった。むらには耕作者にサービスを提供する各種の職人がおり,不足した場合は近隣の職人部落からサービスを仰ぎ,またそこで生産された物が商人によってむらにもたらされた。…
…また王侯が刻ませた碑文には,歴年,王家の系譜,場所,事件などが具体的に記されており,彼らが〈過去〉〈現在〉に強い関心をもっていたことがわかる。バラモンやクシャトリヤの家には,古代の聖人や英雄にまでさかのぼる系譜が伝えられており,また王朝の役人たちは行政,徴税,外交に関する文書を常に作成していた。さらに古代のインド人は,文章表現において際だった才能を発揮している。…
※「バラモン教」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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