ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アンドロニクス1世」の意味・わかりやすい解説
アンドロニクス1世
アンドロニクスいっせい
Andronicus I Comnenus
[没]1185.8.12. コンスタンチノープル
ビザンチン皇帝 (在位 1183~85) 。従兄マヌエル1世の親西欧策に反対し,長年の放浪生活のあと,1182年ポントスの地方長官在職中に挙兵。同年5月首都コンスタンチノープルでの反ラテン人暴動を機に入城を果し,アレクシウス2世の母マリアを処刑,代って 14歳の幼児皇帝の摂政となり (83.9.) ,2ヵ月後には皇帝を暗殺し,即位,アンドロニクス1世を名のった。内政では地方政治の悪弊を正すため強引な実施策を敢行,反対勢力に対してはテロ行為も辞さなかった。外政ではハンガリーのベーラ3世によるバルカン半島の大都市の破壊 (83) ,ウィリアム2世指揮下のシチリアのノルマン軍によるデュラチオン,帝国第2の都会テッサロニカの占領があった (85) 。ノルマン軍の首都進軍の報は首都住民の暴動を誘発,市民の激怒の的となり,路上で虐殺された。
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