日本大百科全書(ニッポニカ) 「アン・ブリン」の意味・わかりやすい解説
アン・ブリン
あんぶりん
Anne Boleyn
(1507―1536)
イギリス王ヘンリー8世の第2王妃。エリザベス1世の母。父はトマス・ブリン(後のウィルトシャー・オーモンド伯)。ブリン家はロンドンの富裕な商人で、市長も出している。母はサリー伯トマス・ハワードの娘。1519年ごろから1522年までフランスで宮廷生活を過ごした。帰国後、王妃キャサリンの侍女となった。その美しさについては疑問があるが、男心をひく術を心得ていた彼女は、まもなく国王ヘンリーの寵(ちょう)を得ることとなった。王妃から男子の後継者が得られず焦燥を感じていた王はついに離婚を決意、ローマ教皇からその許可が得られぬままに1533年春アンとの結婚を断行した。これがイギリス宗教改革の発端となった。9月にエリザベス出産。その後王の気持ちは冷却し、男子の生まれぬことも加わり、1536年5月姦通(かんつう)のゆえをもってアンは投獄、同月19日に処刑された。
[植村雅彦]