ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カサリン」の意味・わかりやすい解説
カサリン[アラゴン]
Catherine of Aragon
[没]1536.1.7. イングランド,キンボルトン
イングランド王ヘンリー8世の最初の妃。キャサリンとも表記される。スペイン王フェルナンド2世とイサベル1世の末娘で,1501年ヘンリーの兄アーサーに嫁したが,翌 1502年アーサーが夭折したため,1509年義弟ヘンリー8世と再婚した。ヘンリーとの子供はメアリー1世を残してほかは死んだため,男子相続者を欲したヘンリーの寵は侍女アン・ブリンに移った。ヘンリーは教皇のクレメンス7世にカサリンとの結婚の無効を訴え,この問題がこじれてイギリス宗教改革の原因になった。カサリンは最後まで離婚の無効を主張したが,ヘンリーは 1531年カサリンと別れ,以後は公の場からも遠ざけた。
カサリン[バロア家]
カサリン[バロアけ]
Catherine of Valois
[没]1437.1.3. ロンドン
イングランド王ヘンリー5世の妃。キャサリンとも表記される。フランス王シャルル6世の王女。 1420年イギリス,フランス両国がトロアの和約を結んだときヘンリー5世と結婚,男子 (のちのヘンリー6世) を産んだが,22年夫が死んだため,25年頃ウェールズの地方有力者オーウェン・チューダーとひそかに結婚,3人の男子を産む。その長男エドマンドがのちのチューダー朝の始祖ヘンリー7世の父となる。
カサリン[ブラガンザ]
Catherine of Braganza
[没]1705.12.31. リスボン
イングランド王チャールズ2世の妃。キャサリンとも表記される。ブラガンザ公 (のちのポルトガル王) ジョアンの娘。 1662年チャールズと結婚。子が生れなかったため,宮廷でも孤独であった。夫の死後数年間イギリスにとどまったが,92年母国に戻った。
カサリン
Katherine
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