カサリン(その他表記)Catherine of Aragon

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カサリン」の意味・わかりやすい解説

カサリン[アラゴン]
Catherine of Aragon

[生]1485.12.16. スペイン,アルカラドエナレス
[没]1536.1.7. イングランド,キンボルトン
イングランド王ヘンリー8世の最初の妃。キャサリンとも表記される。スペイン王フェルナンド2世イサベル1世末娘で,1501年ヘンリーの兄アーサーに嫁したが,翌 1502年アーサーが夭折したため,1509年義弟ヘンリー8世と再婚した。ヘンリーとの子供はメアリー1世を残してほかは死んだため,男子相続者を欲したヘンリーの寵は侍女アン・ブリンに移った。ヘンリーは教皇クレメンス7世にカサリンとの結婚の無効を訴え,この問題がこじれてイギリス宗教改革の原因になった。カサリンは最後まで離婚の無効を主張したが,ヘンリーは 1531年カサリンと別れ,以後は公の場からも遠ざけた。

カサリン[バロア家]
カサリン[バロアけ]
Catherine of Valois

[生]1401.10.27. パリ
[没]1437.1.3. ロンドン
イングランド王ヘンリー5世の妃。キャサリンとも表記される。フランス王シャルル6世の王女。 1420年イギリス,フランス両国がトロアの和約を結んだときヘンリー5世と結婚,男子 (のちのヘンリー6世) を産んだが,22年夫が死んだため,25年頃ウェールズの地方有力者オーウェン・チューダーとひそかに結婚,3人の男子を産む。その長男エドマンドがのちのチューダー朝の始祖ヘンリー7世の父となる。

カサリン[ブラガンザ]
Catherine of Braganza

[生]1638.11.25. ビラビソザ
[没]1705.12.31. リスボン
イングランド王チャールズ2世の妃。キャサリンとも表記される。ブラガンザ公 (のちのポルトガル王) ジョアンの娘。 1662年チャールズと結婚。子が生れなかったため,宮廷でも孤独であった。夫の死後数年間イギリスにとどまったが,92年母国に戻った。

カサリン
Katherine

オーストラリア,ノーザンテリトリー北部,ダーウィンの南東 353kmにある町。ダーウィン-ラリマー間の鉄道,ダーウィン-ポートオーガスタ間の道路通りデイリー川の上流カサリン川の渡津集落から発達周辺は牧畜地帯で,食肉工場,農業試験場がある。人口 9372 (1991推計) 。

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