日本大百科全書(ニッポニカ) 「あゝ野麦峠」の意味・わかりやすい解説
あゝ野麦峠
ああのむぎとうげ
山本茂実(しげみ)(1917―1998)の記録文学。副題は「ある製糸工女哀史」。1968年(昭和43)朝日新聞社刊。1972年新版刊行。野麦峠は飛騨(ひだ)(岐阜県)と信濃(しなの)(長野県)との国境にあり、明治中期から昭和初期まで飛騨の貧農の娘は、この峠を越えて岡谷の製糸工場にわずかな前借金で働きに行った。本書は、数百名に及ぶ元工女と関係者からの聞き取りに基づき、工女や「女工哀史」を生み出した農村と工場の実態、さらに原料繭(まゆ)を買いたたき、11、12歳からの工女を1等から50等くらいにランクづけして賃金に差をつけたり、罰金を払わせたりして搾取し、変動の大きい糸相場に対応しようとした資本家の姿を描き出した。それは、生糸輸出、武器輸入という近代日本の基本的な産業構造を象徴する。劇化、映画化され、野麦峠には現在、記念碑が立っている。
[大木基子]
『『あゝ野麦峠』(角川文庫)』