ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アーユシュリーダラ」の意味・わかりやすい解説
アーユシュリーダラ(愛猷識理達臘)
アーユシュリーダラ
Ayur Shiridara
[没]宣光9=洪武11(1378)
北元の皇帝 (在位 1370~78) 。ビリクト・ハンと称し,廟号を昭宗という。トゴン・テムル (→順帝) の長子。母は高麗人オルジェイ・フトゥク皇后奇氏。至正 13 (1353) 年皇太子に立てられ,同 24年ボロト・テムル (孛羅帖木児)の兵に追われて大都を出奔し,翌年ココ・テムル (拡廓帖木児)の力で帰京した。洪武1 (68) 年父とともに応昌に出奔し,同3年明軍に応昌を襲われると,数十騎とともに脱走,帝位を継いで年号を宣光と称した。ココ・テムルとともに元朝の再興をはかったが成功せず,同 11年夏カラコルムで死んだ。その跡は弟のトクズ・テムル (脱古思帖木児)が継いだ。
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