ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クレメンス7世」の意味・わかりやすい解説
クレメンス7世
クレメンスななせい
Clemens VII
[没]1394.9.16. アビニョン
大分裂時代の対立教皇(在位 1378~94)。本名 Robert de Genève。カンブレーの大司教などを経て 1371年に枢機卿(→カーディナル)となった。教皇ウルバヌス6世の選出を無効と宣言したフランス系の枢機卿団の指導者であり,1378年9月にフォンディで登位。ここに約 40年にわたる西方教会の大分裂が始まった。ナポリ女王がクレメンス7世を正統な教皇と認めたためナポリ王国に赴いたが,ナポリ市民はウルバヌス6世を支持したため,まもなくアビニョンに移った。ヨーロッパ各国はウルバヌス6世とクレメンス7世のどちらを支持するかで 2派に割れ,この問題はイングランドとフランスの百年戦争をも長引かせることとなった。
クレメンス7世
クレメンスななせい
Clemens VII
[没]1534.9.25. ローマ
イタリア人教皇 (在位 1523~34) 。ヨハネ騎士修道会カプア管区長。本名 Giulio de' Medici。 1513年フィレンツェ大司教,枢機卿。ルター派台頭のため公会議開催を迫る皇帝カルル5世に対し,フランス王フランソア1世に加担し勢力均衡をねらったが,27年皇帝軍によってローマは陥落し,公会議開催を約束。ヘンリー8世の離婚を認めず,34年イギリス国教会はローマから分離した。海外布教や学芸の奨励に功績を残した。
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