アールツェン(その他表記)Pieter Aertsen

改訂新版 世界大百科事典 「アールツェン」の意味・わかりやすい解説

アールツェン
Pieter Aertsen
生没年:1507か09-75

オランダ画家故郷アムステルダムでの修業ののち,1535年アントワープの画家組合に入会。63年,正式にアムステルダムの市民として登録され,没するまで同地にとどまった。宗教画家としても第一人者で,故郷をはじめ各地の教会祭壇画制作にあたったが,その多くは偶像破壊運動で失われた。今日画家の声望を支えているのはむしろ農家の厨房などを舞台とした教訓的風俗画であり,しばしば前景に大きく扱われている静物描写は,静物画独立への重要な一段階を画すものとして注目に値する。忠実な後継者に妻の甥ブーケラールJoachim Bueckelaer(1530-74ころ)がおり,また2人の息子ピーテルおよびアールトも画家としてアムステルダムで活躍した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アールツェン」の意味・わかりやすい解説

アールツェン
Aertsen(Aertsz), Pieter

[生]1508. アムステルダム
[没]1575.6.3. アムステルダム
オランダの歴史画家,風俗画家。 1535年アントウェルペンの聖ルカ組合に登録。その後 55年アムステルダムに帰るまで同地で制作。 63年再びアムステルダムの市民権を取得。宗教画に風俗的情景を盛込んで新生面を開く。また静物画の開拓者でもあった。オランダ・マニエリスムの代表的な作家と考えられる。作品は,アントウェルペン王立美術館収蔵の『ヤン・ファン・デル・ビーストのキリスト降架の祭壇画』 (1546) ,マウリッツハイス美術館の『マリアマルタの家のキリスト』 (53) 。

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世界大百科事典(旧版)内のアールツェンの言及

【オランダ美術】より

…こののち同じようにイタリア,特にローマに遊学して古代とルネサンスの成果を吸収しようとした〈ロマニスト〉と呼ばれる画家たちが続出するが,一般的に言って彼らを中心とする16世紀のオランダ美術はイタリアの理想性とネーデルラント本来の写実性のいずれをも十分に発揮できず,両者の統合という重要な課題は達成できなかった。そうした情勢の中で自己の個性を確立しえた画家としては,スペインを中心に各国の宮廷で活躍し公的肖像画の一範例を形成したモル・ファン・ダスホルストAnthonie Mor(o) van Dashorst(1512‐76),宗教主題を扱いつつも風俗的要素のなまなましい描写によって17世紀フランドルへの道を開いたアールツェンの名が挙げられる。16世紀後半は宗教的・政治的動揺のため美術活動は全般的に不振で,聖像破壊運動によってこの時期に失われた作品も数多い。…

【フランドル美術】より

… 15世紀フランドルの宗教画に含まれていた風俗画,風景画,静物画の萌芽が自立への道をたどるのも,イタリア化と並ぶ16世紀フランドル美術のもう一つの特色である。風俗画は,マセイスの《両替商とその妻》に端を発し,〈放蕩息子〉の物語を借りて娼家の情景を描くファン・ヘメッセンJan van Hemessen(1500ころ‐65ころ),やはり聖書の主題を扱いながら風俗画的・静物画的要素に格段の重要性を与えるP.アールツェンらに継承される。J.パティニールは16世紀初頭,従来の宗教画の人物と背景の関係を逆転させ,人物を俯瞰されたパノラマ的風景の中の点景とした。…

※「アールツェン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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