日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビシュヌ派」の意味・わかりやすい解説
ビシュヌ派
びしゅぬは
Vaiava
シバ派と勢力を二分するヒンドゥー教の一派で、最高神ビシュヌ神とその神妃、化身を崇拝する。とはいえ、現実には、単一のビシュヌ派というものはなく、おびただしい数の派があって、それが全体としてビシュヌ派とよばれているにすぎず、その歴史的経緯は非常に錯綜(さくそう)している。まず、もっとも古い派としてはバーガバタ派があげられる。この派は、古くは最高神をバガバッドとよんだが、やがて、バースデーバとも、クリシュナとも、ビシュヌともよぶようになった。元来ビシュヌ神とは関連がなかったが、しだいにビシュヌ派となっていった過程を、その複雑な名称が暗示している。この派の成立は紀元前5、4世紀とみられ、その教義は『バガバッド・ギーター』のなかに盛り込まれていると考えることができる。また、後代のプラーナ文献としては、『ビシュヌ・プラーナ』『バーガバタ・プラーナ』がこの派のものであるとされる。この派からさらに派生したものとしては、一見多元論とみられる独得の一元論を説いた南インドのカルナータカの出身のマドバを開祖とするマドバ派、ビシュヌスバーミン(13世紀)を開祖とするビシュヌスバーミン派、牧人クリシュナとその愛人ラーダー(ラーデイカー)の崇拝を、本質的不一不異論ベーダーンタ派の教義のうえに基礎づけたニンバールカ(14世紀?)を開祖とするニンバールカ派、南インドのアーンドラ地方出身で、純粋不二一元論を説き、北インドのクリシュナ神崇拝の聖地ブリンダーバンを本拠地にして活躍したバッラバを開祖とするバッラバ派、東インドでクリシュナ、ラーダー崇拝を広め、不可思議不一不異論を唱えたチャイタニヤを開祖とするチャイタニヤ派などがある。このバーガバタ派の流れに対して、重要な位置を占めるのがパンチャラートラ派である。この派はナーラーヤナを崇拝し、タントリズムを基調としていることを最大の特徴とし、おそらく7世紀ころから聖典を作成し始めたとみられている。バーガバタ派とその系統が化身ということを説くのに対し、この派では顕現(ビユーハ)ということを説く。パンチャラートラ派は、やがて、南インドのタミル地方で流行したシュリーバイシュナバ派に影響を与え、この派から、被限定者不二一元論を唱えたラーマーヌジャ(12世紀)を開祖とするラーマーヌジャ派が派生し、ここから出たラーマーナンダによって、北インドに、ラーマ派とも称せられるラーマーナンダ派などの各派が生じていった。
[宮元啓一 2018年5月21日]