日本大百科全書(ニッポニカ) 「イェンバイ蜂起」の意味・わかりやすい解説
イェンバイ蜂起
いぇんばいほうき
フランスの植民地であった1930年2月、ベトナム国民党が北部ベトナム各地で起こした武装蜂起。1927年にハノイの青年知識人を中心として設立された国民党は、反仏武装闘争を主張し、ベトナム人兵士などの間に党勢を拡大した。しかし、1929年2月のバザン暗殺事件後、組織が次々に摘発され始めると、準備不足のまま、翌1930年2月に蜂起した。まず9日夜半に、紅河(ソン・コイ川)中流域のイェンバイYên Bàiの兵営を、兵士の内応を得て占領した。10日には別動隊がフンホア兵営を攻撃したが、兵士の呼応を得られず転進し、結局ラムタオ府庁を占領した。同日ハノイでも投弾活動があった。党首グエン・タイ・ホクは15日ハイズォン省で蜂起し、県庁を占領した。同日タイビン省でも蜂起があった。しかし、各地での行動は連携を欠き、フランス側によって即座に鎮圧された。ホクは捕らえられ、同志12名とともにイェンバイ臨時法廷で死刑の判決を受けた。残党は中国に亡命し、中国軍閥の庇護(ひご)下に入った。
しかし、蜂起自体はベトナム民族運動史の新たな段階の開幕を告げるものとして、高く評価されている。
[白石昌也]
『谷川栄彦著『東南アジア民族解放運動史』(1969・勁草書房)』▽『桜井由躬雄・石沢良昭著『東南アジア現代史Ⅲ』(1977・山川出版社)』