百科事典マイペディア 「イギリス公使館焼打事件」の意味・わかりやすい解説
イギリス公使館焼打事件【イギリスこうしかんやきうちじけん】
→関連項目尊王攘夷運動
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1863年1月31日(文久2年12月12日)深夜,長州藩の高杉晋作,久坂玄瑞,志道聞多(井上馨),伊藤俊輔(博文)らが,江戸品川の御殿山に建築中のイギリス公使館に侵入し,火薬を仕掛けて全焼させた事件。江戸滞在中の彼ら長州藩尊王攘夷派の志士たちは,幕府に攘夷を督促する勅使三条実美,姉小路公知を迎えてますます意気があがり,御楯組を結成して攘夷決行の機をうかがっていた。そして,当初予定していた横浜外人居留地の襲撃については,周囲から説得されて思いとどまったものの,勅使が離府した直後に素志を実行し,この挙に及んだものである。イギリス側は4ヵ月前の生麦事件に次ぐこの事件でますます強硬になり,一方で開国通商を対外的に約し,他方で朝廷から攘夷断行をせまられている幕府は,このためいっそう窮地に陥った。
執筆者:芝原 拓自
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