イスラエル労働党(読み)イスラエルろうどうとう

百科事典マイペディア 「イスラエル労働党」の意味・わかりやすい解説

イスラエル労働党【イスラエルろうどうとう】

1968年イスラエルの指導的政党であるマパイ党を中心に左翼諸政党が合体したもの。労組の支持が強く,社会民主主義を政策に掲げる。右翼連合リクードと比べて中東和平にはより柔軟な路線をとる。1968年―1977年,1984年―1996年政権与党。1999年5月の首相公選でE.バラク党首が当選し,政権に復帰したものの,2001年2月リクードのシャロン党首に敗れた。その後党勢は退潮したが,2008年の選挙後,ネタニヤフ首相の率いる右派のリクード政権に参画。しかし同政権との協調をめぐって党内左派と右派の対立が先鋭化し,11年,ネタニヤフ政権を支持するグループは新党・インディペンダンスを結成して集団離党した。現在の党首はシェリー・ヤヒモビッチ。→ラビン
→関連項目イスラエルダヤンパレスティナ暫定自治メイア

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イスラエル労働党」の意味・わかりやすい解説

イスラエル労働党
イスラエルろうどうとう
Israel Labour Party

イスラエルの政党。 1968年1月マパイ,アフト・ハアボダ (シオン労働者党) ,ラフィ (イスラエル労働者リスト) の社会民主主義3政党が合併して結成した。労働組合やキブツ協同組合に支持されており,特にユダヤ労働総連合 (ヒスタドルート) を掌握している。 69,73年の総選挙で第1党となったが過半数をとれずに連立内閣の与党となった。 77年の総選挙ではリクードに敗れて第2党に転落,政権を失った。 92年政権に復帰,93年9月には宿敵だったパレスチナ解放機構 PLOとの間で歴史的な和解を成立させた (→パレスチナ暫定自治協定 ) 。その後もイスラエル政治の中軸勢力として活動。

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