イタリア統一戦争(読み)イタリアトウイツセンソウ

デジタル大辞泉 「イタリア統一戦争」の意味・読み・例文・類語

イタリア‐とういつせんそう〔‐トウイツセンサウ〕【イタリア統一戦争】

1859年、イタリア統一をめざしたサルデーニャ王国と、北イタリアを支配していたオーストリアとの戦争フランス援助を受けたサルデーニャが優勢だったが、ナポレオン3世の裏切りにより、ロンバルディアを回復したにとどまった。

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関連語 アルベルト

精選版 日本国語大辞典 「イタリア統一戦争」の意味・読み・例文・類語

イタリア‐とういつせんそう‥トウイツセンサウ【イタリア統一戦争】

  1. 一八五九年、イタリア全土の統一をめざすサルデーニャ王国とオーストリアとの間の戦争。ナポレオン三世と密約を結んだサルデーニャは連戦連勝したが、サルデーニャの強大化を恐れるナポレオン三世の裏切りにより、ロンバルディアを回復したにとどまった。

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百科事典マイペディア 「イタリア統一戦争」の意味・わかりやすい解説

イタリア統一戦争【イタリアとういつせんそう】

イタリア独立戦争〉とも。イタリアがリソルジメントの運動を通して独立と統一を達成した際,オーストリアに対して行った戦い。第1回(1848年―1849年)は敗北してサルデーニャ国王カルロ・アルベルトは退位したが,イタリアはサルデーニャ首相カブールのもとに勢力を回復する。第2回(1859年―1860年)はフランスと同盟してソルフェリーノの戦でオーストリア軍を破り,フランスの脱落ビラフランカの和約)後は独力でほぼ半島全土を統一。第3回(1866年)でベネチア奪回に成功した。
→関連項目イタリア1848年革命デュナンマクマオン

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