改訂新版 世界大百科事典 「イラン族」の意味・わかりやすい解説
イラン族 (イランぞく)
Iranians
イラン,アフガニスタン,中央アジアに分布するイラン系言語を話す諸族の総称。インド・ヨーロッパ語族に属する言語を使用する諸族の東方分派にアーリヤを自称する集団があり,その一部がイラン族の起源をなした。イランの名もアーリヤ(古代ペルシア語アリヤariya)に由来する。なお,他の一部はインドに入り,インド・アーリヤと呼ばれる。
イラン族は騎馬遊牧民として前1千年紀にイラン高原からタリム盆地にいたる地域に広がり,遊牧とならんで各地において定着農耕への移行を開始した。それとともに三つの方言群が成立する。そのうち歴史的,文化的にもっとも重要な役割をはたしたのは西イラン族で,アッシリアを滅ぼしたメディア人と,古代オリエント世界を統一したペルシア人がこれに含まれる。とりわけペルシア人は,アケメネス朝とササン朝の2度にわたる帝国支配によって,イラン族の代表とみなされるにいたった。イラン高原東部からオクサス(アム・ダリヤ),ヤクサルテス(シル・ダリヤ)両河地方にかけて各地に割拠した東イラン族は,前1千年紀前半に連合国家形成の段階にまで達したように思われる。ゾロアスターの伝道地も,この連合国家に属した諸侯国の一つに想定されている。いずれにせよ,この地域は前6世紀後半にペルシアのキュロス2世によって征服された。イラン族がもっとも東方に達したタリム盆地では,いわゆる西域三十六国の成立をみた。中央アジアでもその後クシャン人が帝国を建設し,ソグド人がシルクロードの通商を支配するなど,東イラン族の活動がつづいた。しかし,ウイグルをはじめとするトルコ系遊牧民のオアシス定住化が進むと,イラン族の後退は決定的となった。北イラン族は中央アジアから南ロシアのステップに遊牧をつづけたサカとスキタイで,その一分派からパルティアのアルサケス王家が出ている。サカとスキタイのあとには,サルマートとアラン人が現れた。
現在,イランにはペルシア人のほかに,バフティヤーリー,ルル,クルドなどのイラン系諸族がいる。彼らは山地居住や遊牧により独自の生活を維持してきたが,彼らの言語はペルシア語の方言か,それに近い。しかし,イラン・アフガニスタン国境地帯の遊牧民バルーチ族は,言語的系統においてペルシア語とすこし異なる。アフガニスタンのイラン諸族のなかではアフガン人がもっとも有力で,彼らの言語パシュト語はアフガニスタンの公用語である。トルキスタンでは,タジク人はもはやペルシア語圏に属しており,ゼラフシャン川の支谷にいるヤグノービーがわずかにソグド語の特徴を伝えているにすぎない。北イラン語群は,アラン人の子孫で,現在カフカス地方に居住するオセット族によって代表される。
執筆者:佐藤 進
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報