イーストマン(読み)いーすとまん(英語表記)George Eastman

デジタル大辞泉 「イーストマン」の意味・読み・例文・類語

イーストマン(George Eastman)

[1854~1932]米国発明家。イーストマン‐コダック社の設立者写真感光材料カラーフィルムやコダックカメラ発明

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精選版 日本国語大辞典 「イーストマン」の意味・読み・例文・類語

イーストマン

  1. ( George Eastman ジョージ━ ) アメリカの発明家。イーストマン‐コダック会社を設立し、写真感光材料、大衆的なカメラなどの発明普及で有名。(一八五四‐一九三二

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「イーストマン」の意味・わかりやすい解説

イーストマン
いーすとまん
George Eastman
(1854―1932)

アメリカの写真技術者。ロチェスターの公立学校を卒業し、保険会社や銀行に勤める。ニエプスダゲールの写真創始以来、感光板は石板石、ガラス、金属板などで重くて取扱いに不便であった。1880年イーストマンは写真乾板製法を開始し、1884年には初めてニトロセルロースフィルムにゼラチン臭化銀乳剤を塗布した現代のようなフィルムをつくった。またターナーSamuel N. Turnerの発明したロールフィルムの日中装填(そうてん)カセット特許を買いザ・コダックを売り出し、一般アマチュアに普及した。「あなたはシャッターを押すだけ、あとはお任せください」という宣伝で、そのイーストマン・コダック社は世界に雄飛した(その後、デジタル化への対応の遅れなどにより、2012年1月米連邦破産法第11条の適用を申請した)。有名な慈善家の一人で、財産多くを大学や病院に寄付した。輝かしい成果を収めたイーストマンは、不治の病に気がつくや壮烈な自殺を遂げた。

[菊池真一]

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改訂新版 世界大百科事典 「イーストマン」の意味・わかりやすい解説

イーストマン
George Eastman
生没年:1854-1932

アメリカの発明家,企業家。イーストマン・コダック社の創立者で,写真感光材料の製造と写真の一般アマチュアへの普及に大きい功績があった。ニューヨーク州ウォータービルの生れで保険会社に勤めていたが,1880年写真乾板の製造プロセスを完成させイーストマン乾板会社を設立,84年には紙製ロールフィルムを発売し,88年にはこのフィルムを定焦点ボックスカメラ(コダック・カメラ)に収めて発売し,写真がアマチュアにも楽しめる時代を招いた。92年にはイーストマン・コダック社を創立,引き続きセルロイドを支持体とするフィルム,映画用フィルムを発売したのち,1913年にはX線用フィルムを完成した。その後も小型映画,カラー写真をはじめ写真の全分野で先駆的事業を完成して同社を大企業に発展させ,写真の普及,利用に功績をあげた。教育事業,音楽活動にも尽力し,各国から叙勲,受賞の栄誉を受けたが,最後はピストル自殺により一生を閉じた。
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百科事典マイペディア 「イーストマン」の意味・わかりやすい解説

イーストマン

米国の写真技術者。1880年写真乾板,1884年紙製ロールフィルムを発明,1888年携帯用カメラ〈コダック〉第1号を発売。のちイーストマン・コダック社を創設,その経営に当たった。多くの財産をロチェスター大学などに寄付,慈善家としても知られた。自殺。
→関連項目カメラ写真

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イーストマン」の意味・わかりやすい解説

イーストマン
Eastman, George

[生]1854.7.12. ニューヨーク,ウォータービル
[没]1932.3.14. ロチェスター
アメリカの発明家,工業家。ロチェスターの公立学校卒業後,短期間保険会社と銀行に勤めた。 1880年乾板フィルム製作過程を完成,その製造を始めた。 84年イーストマン乾板フィルム社を設立,88年「コダック・カメラ」を初めて市場に売出した。 92年事業をイーストマン・コダック社に再編,8年後子供向けの「ブラウニー・カメラ」を1ドルで売出し,1927年までにはアメリカの写真産業を事実上独占した。大学などに多額の寄付をしたことでも知られる。

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世界大百科事典(旧版)内のイーストマンの言及

【写真】より

… このように肖像というものは当時の写真の主要な表現主題であったが,大衆の要求に応えた大量の肖像写真は,社会史的に見れば,人々が写真そのものと親しみを深める役を果たし,絵画とは違う写真の特性についての知識の普及に役立った。のちに素人にも容易に撮れるイーストマン・コダック社の写真システムや,乾板,ロールフィルム等の普及によって誰にでも写真が撮れるようになったことから,営業的な肖像写真の需要自体は減少したものの,写真はいっそう身近なものとなり,写真画像の日常生活への浸透は急速に進むことになった。またフィルムの感光度がいっそう高くなりスナップ撮影(スナップ写真)が容易になると,瞬間的な表情や姿態が撮影できるようになったため,人々は肉眼ではとらえられぬもう一つの人間像を写真の上に見いだすことになった。…

【イーストマン・コダック[会社]】より

…本社ニューヨーク州ロチェスター。1880年にG.イーストマンが個人経営で始めた乾板・フィルム製造会社が始まりである。88年にコダック・カメラ第1号機(携帯用カメラ)を発売,98年には近代カメラの第一歩となった蛇腹式折りたたみコダック・カメラを発売した。…

【カメラ】より

…70年代以降乾板の発明,その高感度化に伴い,穴をあけた木や金属板を落下,あるいはばねなどで作動させるギロチンシャッターや,後述のフォーカルプレーンシャッター,レンズシャッターといった基本的なシャッター方式がすべて開発された。88年,G.イーストマンは紙をベースにしたロールフィルムを用いるボックスカメラ,コダックを発売,ロールフィルムが本格化するとともに,1912年,イーストマン・コダック社(略称コダック社)から発売されたベスト・ポケット・コダック(日本では単レンズ付きのものがいわゆる〈ベス単〉の愛称で親しまれた)は大量生産された最初のカメラで,世界的ベストセラーとなった。 一方,映画の普及とともに,35ミリ映画フィルムをスチルカメラに転用する企画が相次いだが,ドイツの顕微鏡メーカー,ライツ社の技術者バルナックOskar Barnack(1879‐1936)が13年より試作を続け,25年にライカAとして発売されたカメラは,ダブルサイズと称する映画2コマ分の画面サイズ(36mm×24mm)を用い,今日の小型スチルカメラの始祖となったばかりでなく,マガジン入りのフィルムを使用し,フィルムを1コマ送ると同時にフォーカルプレーンシャッターを巻き上げる,いわゆるセルフコッキング方式をとっているなど,現代小型カメラの基本的要件を備えていた。…

※「イーストマン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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