ニューヨーク(読み)にゅーよーく(英語表記)New York

翻訳|New York

改訂新版 世界大百科事典 「ニューヨーク」の意味・わかりやすい解説

ニューヨーク
New York

アメリカ合衆国の最大都市。ニューヨーク州の南東端,ハドソン川河口の大西洋岸に位置する。面積780km2,人口814万3197(2005)。ニューヨーク州南部,ニュージャージー州北東部にまたがる大都市域の人口は855万(1992)。ボストンからワシントンD.C.に至るアメリカ・メガロポリスの中核都市であるとともに,合衆国はもとより世界経済の中枢であり,国際連合の本部所在地でもある。世界有数の港湾施設をもち,航空・陸上交通の拠点である。また,第2次大戦後はパリに代わって世界の最も重要な芸術の中心地にもなっている。名称の由来は明らかではないが,〈ビッグ・アップルBig Apple〉の愛称をもつ。

 ニューヨークはいくつかの恵まれた自然条件を有している。合衆国北東部の大西洋岸はおおむね港に適した自然条件を備えているが,ニューヨークの港湾機能はとくに優れている。ボストンなどニューイングランドの港湾が内陸部に通じる河川を欠くのに対し,ニューヨークは可航河川であるハドソン川を擁し,かつニューヨーク湾は一年を通じて大型船の航行が可能である。加えてスタテン島とロング・アイランドが湾の自然堤防の役割を果たし,アッパー・ニューヨーク湾という停船に適した水域をもつ。位置的にも大西洋岸において,歴史的に工業化の先進地域であったニューイングランドと農業プランテーションが展開した南部とのほぼ中間に位置し,さらにエリー運河によって中西部五大湖地方とも結ばれた。対外的にも,北大西洋航路の要衝で,貿易,移民受入れの中心であった。また,ニューヨークの中心であるマンハッタン島は地質的に硬い岩盤から成るため,高層建築(スカイスクレーパー)の集中を可能とした。こうした自然条件が歴史的条件とあいまって,ニューヨーク発展の基盤を築いたといえよう。

 ニューヨーク市はマンハッタンManhattan,ブルックリンBrooklyn,クイーンズQueens,ブロンクスBronx,スタテン島Staten Islandの5自治区から成る。ニューヨークの政治,経済,文化の中心をなすマンハッタン(人口約150万)は,南からダウンタウン,ミッドタウン,アップタウンの三つに大別される。ダウンタウンは14丁目以南の,ニューヨークでは最も歴史が古い地域で,道路は複雑に入り組んでいる。一方,セントラル・パークの南辺で分かたれるミッドタウンとアップタウンでは,道路は碁盤目状に走っている。アベニューと呼ばれる大通りが島の基線(ほぼ南北)方向に,比較的狭いストリートがそれと垂直に交わる。おおむねアベニューは東から,ストリートは南から順番に番号を付されている。マンハッタンを斜めに縦断するのがブロードウェーである。ダウンタウンには,ウォール街を中心とする金融街や世界第3の高さの世界貿易センター(110階,高さが北棟417m,南棟415mの双子ビル)のほかに,チャイナタウン,リトル・イタリー,ロワー・イースト・サイドなどの居住区がある。なお世界貿易センターは,2001年9月11日テロリストのハイジャック機に激突されて崩壊,約3000人の犠牲者を出した。芸術家,作家が住みボヘミアン的雰囲気で長い間知られたグリニチ・ビレッジもダウンタウンに含まれる。ミッドタウンは商業活動が活発な地域で,約40年間にわたって世界一の高さを誇ったエンパイア・ステート・ビル(102階,381m)の西方にはデパート街や衣服産業地区が,また目抜き通りの五番街には高級商店街が続く。五番街と六番街の間の47丁目一帯は,ユダヤ人が経営する宝石店が集中しており,アメリカの貴金属取引の大半を扱っている。ミッドタウンにはまた,グランド・セントラルとペンシルベニアの2ターミナル駅が位置し,都市交通の中心でもある。北寄りにはニューヨーク近代美術館や〈都市の中の都市〉ロックフェラー・センターの摩天楼がそびえる。七番街とブロードウェーが交差するタイムズ・スクエアはブロードウェー・ミュージカルの中心で,映画館や世界各地の料理店も集中している。アップタウンはセントラル・パークによって東西に分けられるが,芸術関係の施設が多い。セントラル・パーク(面積3.4km2)の森林や庭園はマンハッタンでは貴重な自然を提供しており,公園内にはデラコーテ劇場,野外音楽堂,動物園,各種スポーツ施設が設けられている。公園の東側には五番街に面してグッゲンハイム美術館メトロポリタン美術館,フリック美術館などが,西側にはアメリカ自然史博物館とリンカン・センターがある。リンカン・センターには,メトロポリタン・オペラ・ハウス,ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団の本拠エーベリー・フィッシャー・ホール,ニューヨーク・シティ・バレエ団とニューヨーク・シティ・オペラがシーズンを交替して公演するニューヨーク州立劇場ジュリアード音楽学校が含まれる。セントラル・パークの周辺には超高級アパートが林立している。マンハッタンの最北部には黒人居住区ハーレムとプエルト・リコ人居住区イースト・ハーレム(スパニッシュ・ハーレム)が広がっている。

 イースト川を隔ててマンハッタンの東側のロング・アイランドには,ブルックリン(人口約229万)とクイーンズ(人口約195万)の2区がある。ブルックリンはニューヨーク5区のうち最も人口が多く,河岸,湾岸には大規模な港湾施設を有し,衣服産業も盛んである。クイーンズは面積が最も大きい区で,その北部にはラ・ガーディア空港,南部にはJ.F.ケネディ国際空港というニューヨークの二大空港が位置する。ほかに区としては,マンハッタンの北側の大陸部にブロンクス(人口約120万),ニューヨーク湾内にスタテン島(人口約38万)がある。

通商都市として発展したニューヨークにおいて,貿易業とくに港湾によるそれは今日でも重要な産業である。1921年に設立されたニューヨーク・ニュージャージー港湾公団がおもに港湾業務を管理している。ハドソン川に面したマンハッタン西岸に連なる桟橋がその中心であったが,コンテナー輸送への対応の遅れ,ニューヨークを経由しないセント・ローレンス水路(1959開通)を利用した五大湖地方へのルートの発展により,ニューヨークの港湾機能は相対的に低下した。しかし,ブルックリンやスタテン島の桟橋はコンテナー輸送の施設を有しており,ニューヨークはコンテナーによる合衆国総輸出入量(重量)の約20%(1981)を占め,依然として全米一の港湾である。港湾公団が所有する世界貿易センターは文字どおり貿易業の中枢であるが,このセンターが位置するマンハッタン南部にはウォール街を中心とする金融街(ニューヨーク金融市場)がある。世界最大規模のニューヨーク株式取引所をはじめ国際的な金融機関や商品取引所が集中しており,アメリカはもとより世界の金融・資本市場の中心である。ニューヨークはまた,全米最大の卸売業の中心地であり,小売業も発達している。製造業においては,既製服や印刷,出版などの消費地立地型のものが中心である。既製服産業ではマンハッタンのタイムズ・スクエアの南西,ガーメント・センターが有名だが,この産業の中心はブルックリンに移っている。ガーメント・センターの七番街にはデザイナーの仕事場が集中しており,ニューヨーク・ファッションの中枢でもある。マスコミの分野では,テレビの三大ネットワーク(CBS,ABC,NBC)をはじめAPなどの通信社も本拠を構えており,出版業とあいまってニューヨークをアメリカのマスコミの中心たらしめている。代表的な新聞・雑誌には《ニューヨーク・タイムズ》《ニューヨーカー》《ネーション》(1865創刊)などがある。前衛的ボヘミアンのスポークスマンとしてユニークな役割を果たしてきた《ビレッジ・ボイス》や,人種,民族のるつぼを反映して各国語の新聞・雑誌も多数発行されている。

 ニューヨークはアメリカの都市としては例外的に鉄道依存率が高い。マンハッタンのグランド・セントラル駅とペンシルベニア駅を中心に市内を網の目のように地下鉄が走り,郊外電車も各方面に延び,ボストンやワシントンD.C.などとはアムトラックで結ばれている。郊外にある自宅と最寄り駅との間は自家用車を利用し,そこから鉄道で都市部へ通勤するパーク・アンド・ライド方式も盛んである。バス路線もよく発達しており,ニューヨークの公共輸送機関の利用率は全米一である。市内に居住する勤労者の約56%(1980)が通勤に利用しており,自動車の普及とともに発展したロサンゼルス(約11%)とは好対照である。しかし郊外においては自家用車が主たる交通手段で,大規模な駐車場をもつショッピング・センターが各地に見られ,マンハッタンとは趣を異にする。ニューヨークは川や湾によって市内が分断され交通上の障害であったが,1883年に完成したブルックリン橋をはじめ,ジョージ・ワシントン橋(1931完成),自動車専用のホランド・トンネル(1927開通)などの橋やトンネルによって,マンハッタンを中心に他区やニュージャージー州と結ばれている。また,J.F.ケネディ国際空港(1948開港)をはじめとする多数の空港やヘリポートの存在は,ニューヨークを内外航空の拠点たらしめている。

1524年,ヨーロッパ人として初めてマンハッタン島を発見したのは,現在ベラザノ・ナローズ橋にその名をとどめるイタリア人航海者G.daベラツァーノであったといわれる。1609年にはオランダに雇われたイギリス人H.ハドソンが現ハドソン川を遡航,オランダは20年代から植民に乗り出し,26年にはマナハッタ(マンハッタンの語源)・インディアンに60ギルダー(約24ドル)相当の品物を渡して島を手に入れ,ニューネーデルラント植民地の主都ニューアムステルダムとした。53年,島の南部にインディアンやイギリス人の侵入を防ぐために城壁(ウォール)が築かれた。数年後,壊れた城壁のあとに造られた通りが,現在金融街として有名なウォール街である。その後,英蘭戦争に際してニューネーデルラントは64年にイギリスに占領され,時のイギリス国王の弟ヨーク公(のちのジェームズ2世)にちなんでニューアムステルダムはニューヨークと改名された。

 植民地時代のニューヨークはボストンやフィラデルフィアよりは小さな町であったが,恵まれた地理的条件を生かして港湾都市として発展した。アメリカが独立を達成したときには,その最初の首都(1784-90)に選ばれるまでに成長し,18世紀末には貿易量においてボストンやフィラデルフィアを抜くに至った。さらに1825年,エリー運河の完成によってハドソン川経由で五大湖周辺の中西部とも結ばれ,19世紀前半,ニューヨークは貿易とともに金融,商業の中心地としての地位を不動のものとした。移民の受入れ港でもあったニューヨークでは,40~50年代からアイルランド系,ドイツ系移民が急増し,人口も60年には1840年の2.6倍の81万に達したが,一方ではノー・ナッシング党結成などカトリック系移民の受入れに反対する動きもあった。19世紀前半のニューヨークで,のちの都市形成上重要な決定が二つなされた。マンハッタンの現ミッドタウン以北に今後建設される道路は直線でなければならないとした決定(1811)と,セントラル・パークの建設決定である。後者は,W.C.ブライアントやW.アービングらの文化人による約10年にわたる建設要求運動が結実したもので,市は1856年に公園用に土地を購入する。

 南北戦争から第1次大戦に至る時代に,今日のニューヨークの原型が形成される。市内交通の混雑緩和を図る高架鉄道は1867年にマンハッタンで実験的に運行され,70年代以降普及(電化は20世紀初頭)した。さらに,ブルックリン橋の完成(1883),地下鉄の開通(1904),20世紀初頭の数本の鉄道用河底トンネルの完成によって,マンハッタン島を中心とするニューヨークの交通事情が好転した。98年にはブルックリンを併合して,現在の5区を含む大ニューヨーク市が形成された。また,20世紀初頭にはシカゴに次いで摩天楼時代を迎え,シンガー・ビル(1907),ウールワース・ビル(1913)などが完成する。この時代には東欧や南イタリアからの移民が増え,衣服産業などに労働力を提供した。独立100年を記念してフランスが寄贈した自由の女神像(現リバティ島に建つ。1886完成)が移民を歓迎し,マンハッタン南端のカスル・ガーデンに代わって1892年以降移民局の施設が置かれたニューヨーク湾内のエリス島は〈新世界への玄関〉と呼ばれた。しかし,世紀転換期のリアリズム文学に描かれたように居住環境は悪く,1900年の国勢調査によれば市人口344万の約70%が貧困地帯の密集したアパートに住んでいた。民主党の政党機関タマニー・ホールは移民に職を世話する一方で,移民票を買収し,1860年代から20世紀にかけて市政を牛耳り,そのいわゆるボス政治はしばしば汚職問題を引き起こした。

 1920年代の制限法によって移民の流入は激減するが,第1次大戦前後から南部の黒人がマンハッタン北部のハーレムを中心に多数移住する。黒人人口の増加と自動車の普及によって,20年代には中産階級の郊外移転が急速に進展した。第1次大戦後,ニューヨークはロンドンと並ぶ世界経済の中心となり,ジャズ・エージとも呼ばれる繁栄の時代を迎え,ブルックリン南端の行楽地コニー・アイランドがにぎわった。しかし29年,ニューヨーク株式市場の株価大暴落は世界規模の大恐慌を引き起こし,セントラル・パークには失業者が掘立小屋を建てて住みついた。この時代に市長を務めたF.H.ラ・ガーディア(在職1934-45)は公共事業の促進を図り,ニューヨーク版のニューディール政策を実施したといえよう。クライスラー・ビル(1930)やエンパイア・ステート・ビル(1931)が完成し,ロックフェラー・センターやラ・ガーディア空港(1939開港)の建設が進められた。第2次大戦後は,戦争によって疲弊したイギリスに代わってアメリカは世界大国としての地位を確立し,ニューヨークは世界経済の中心となり,国際連合の本部所在地ともなった。しかし,戦後急増したプエルト・リコ移民を含む人種問題の複雑化,中産階級の郊外移転,都市財政の悪化など,ニューヨークはさまざまな都市問題を抱えるに至った。さらに戦後,合衆国南部の産業拡大が急速に進み,ニューヨークの相対的地位は低下しつつある。
執筆者:

合衆国の他の大都市と同様にニューヨークは第2次大戦後,交通問題,住宅問題,人種問題,公害問題などの都市問題を抱えるようになった。自動車の普及と高速自動車道の建設によって,白人中流階級は,黒人やプエルト・リコ人あるいは海外からの移民との混在的生活から逃れるように郊外へ移動した。このため,マンハッタン島は低所得者階層の比率が増大し,ニューヨーク市の税収は大幅に減少した。その後,ニューヨーク市と州が増税を実施すると,大企業のオフィスや企業も郊外や近隣諸州に脱出した。市当局は高福祉を維持したが,スラム改良費,生活保護費などの増大と老朽化した都市施設の保全のため,1970年代半ば,市財政は破産寸前にまで追いこまれた。

 郊外住宅地の拡大は高速道路網の整備によるところが大きかったので,マンハッタン島には橋やトンネルを経由して多数の自動車が流入し,朝夕のラッシュ時には交通混雑が恒常化した。地下鉄網は市のほぼ全域に及んでおり,利用客も多いが,治安が悪く犯罪率も高いので,敬遠する人々もいる。

 ニューヨーク市の人口はおよそ白人60%(1980),黒人25%,アジア系3%,インディアン0.2%,その他11%であるが,そのうち,白人に分類されるユダヤ人が17%,白人や黒人に分類されるプエルト・リコ人などのスペイン語系が20%を占めており,ニューヨークは多数の人種・民族集団から成っている(1990年代初めには,黒人28.7%,ヒスパニック系24.4%,アジア・太平洋諸島系7%,インディアン0.4%,それ以外39%)。このようなエスニック構成を背景に,1989年には初の黒人市長が登場した(93年まで在任)。一方,これらの人種・民族の複雑性が都市問題をいっそう深刻にしている。多くの人種・民族集団の中で,黒人とプエルト・リコ人は貧困世帯が多く,ニューヨークの貧困世帯の約80%を占めている。黒人居住地区のハーレムやサウス・ブロンクスおよびブルックリン中央部,そしてプエルト・リコ人居住地区のイースト・ハーレムおよびブルックリンにはスラムが広がっている。所得や教育水準の違いから,人種・民族集団間には社会的緊張が存在するため,各人種・民族集団は,ハーレム,イースト・ハーレム,中国系のチャイナタウン,イタリア系のリトル・イタリーなど市内の特定地区に集中して居住する傾向がある。ニューヨークの犯罪発生率は年間10万人当り1万7065件(1980)と高く,東京(23区)の7.7倍にあたるが,犯罪頻発地域は低所得者階層の住む地区と重なる。しかし,ニューヨークの財政は苦しく,犯罪を取り締まる警察官の数は人口10万人当り228人で,東京の85%である。

 スラムでは,建物の所有者が再開発を期待して居住者を追い出すため,あるいは火災保険金目当てに放火する例が多い。また,家屋焼失者に対する福祉目当てに居住者みずから放火する例もある。ニューヨークの火災件数は年間12万7876件であり,東京の25倍にも達する。不動産価値の高いマンハッタンでは低所得者階層が都心から追いたてられる傾向にあり,ブロンクス,クイーンズ,ブルックリンの公共交通網に沿って,プエルト・リコ人を中心とする西インド諸島系および黒人のスラムが拡大しつつある。
執筆者:

ニューヨークは,古くからアメリカの最も重要な文化的要因をなしている。最初の職業作家の一人W.アービングを有名にしたのは,ニューアムステルダム時代のニューヨーク社会を戯画化した物語《ニューヨークの歴史》(1809)であった。以後ニューヨークに住み,この都会を描き,あるいは少なくともここでの生活に霊感を得て書いた作家や詩人は無数といってよい。

 とくにマンハッタンの下町(ダウンタウン),五番街の起点で,ワシントン・スクエア一帯を指すグリニチ・ビレッジの果たした役割が大きい。この地域は,19世紀の末葉まではむしろ高級住宅地で,《モヒカン族の最後》(1826)などを書いたJ.F.クーパーが住み,また死の前年(1915)イギリスに帰化した大作家H.ジェームズも,幼少時代をこの町で過ごし,のちに傑作中編《ワシントン・スクエア》(1881)を書く下地を作った。1837年一文なしでニューヨークにやってきたE.A.ポーも,ワシントン・スクエア近辺にしばらく住んでいたという。ほかにもH.メルビル,晩年のマーク・トウェーンなど,ここに住んだ作家の数は実に多い。また詩人ホイットマンは,おもにブルックリンに住んだが,マンハッタンの下町にも一時いたことがあり,そのボヘミア的雰囲気を愛して,自分のことを〈マンハッタンっ子Manhattanese〉とさえ呼んでいた。

 世紀末にニューヨークの大都市化が進むと,大都市を描くリアリズム文学が現れてくる。ボストンから移ってきたW.D.ハウエルズ,マンハッタンの悪名高いスラム街バワリーを描いたS.クレーンなどである。とくにクレーンは,小説《街の女マギー》(1893)で,貧困と汚濁の世界というショッキングな題材をひっ下げ,お上品趣味の読書界の偽善と戦った。やはり無名時代からビレッジに住んだドライサーも,《シスター・キャリー》(1900)その他で,ニューヨークやシカゴに生きる人々の生活を社会進化論的な観点から描き,アメリカのリアリズム文学の地歩を揺るぎないものにした。

 こうしたリアリズム文学(ないし自然主義文学)の興隆と軌を一にして,美術のほうでもニューヨークの市民生活をリアルな目でとらえた新しい画家のグループが出現している。1890年代にフィラデルフィアからニューヨークに移ってきたR.ヘンライを筆頭にするいわゆる〈アッシュ・キャン・スクール(ちり箱派)〉である。きれいごとしか描かないアカデミズムに反逆して,彼らはおもに市井の庶民生活をリアルに表現した。ヘンライのほか,とくにジョン・スローン,ジョージ・ラクスなどが重要である。

 しかしアメリカの美術を真に現代的にするのに最も功績があったのは,1905年,五番街291番地に〈291〉画廊を創設,マティスをはじめヨーロッパのモダニズム画家たちを次々にアメリカに紹介,またジョン・マリン,G.オキーフなど,数々のアメリカの現代画家を育てたA.スティーグリッツであろう。彼は《カメラ・ワーク》という美術文芸雑誌も出して,まだ認められていない前衛画家や詩人たちに発表場所を提供した。パリにいたG.スタイン,ニュージャージーの詩人W.C.ウィリアムズ,画家で詩人のマーズデン・ハートリーをはじめ,この雑誌の恩恵を受けた芸術家は少なくない。スティーグリッツは,優れた啓蒙家であるとともに,芸術写真の創始者の一人でもあり,ニューヨーク市街を撮影した美しい作品を数多く残している。

 さらに,1913年に開かれた〈アーモリー・ショー〉という大美術展も特筆すべきであろう。印象派,キュビスムなど,ヨーロッパの新しい絵を初めて大々的にアメリカに紹介したもので,のちにニューヨークで活躍するフランス生れのM.デュシャンによるキュビスム風の出品作《階段を下りる裸婦》など,アメリカ美術界に大きな衝撃を与えた。

 その間にグリニチ・ビレッジの性格は一変し,金持ちはアップタウンに移り,ビレッジは,パリのモンマルトル,ロンドンのソーホーに似たボヘミア街に変貌する。だいたい世紀の変り目ごろであった。ビレッジの名にふさわしく,狭い入り組んだ石畳の道が行き交い,その味わい深い町並みと,安い家賃にひかれて,貧乏な作家,芸術家が住むようになった。ドライサー,S.アンダーソン,W.キャザーなどの作家,そして劇作家E.G.オニールらは,ここに最初のオフ・ブロードウェー劇場を作っている。第1次大戦後になると,小説家のドス・パソス,詩人のカミングズ,M.ムーア,H.クレーンなど,ビレッジを根城にした作家の数は実に多い。

 20年代のジャズ・エージには,ドス・パソスが《マンハッタン乗換駅》(1925)でニューヨークを生き生きと描き,同じ年にF.S.フィッツジェラルドが,マンハッタンと郊外のロング・アイランドを舞台に,傑作《偉大なるギャッツビー》を発表した。

 マンハッタンの北部にあるハーレムも,文学には縁が深い。もともとオランダ人の開いた地区で,はじめは白人が住んでいたが,第1次大戦前後から徐々に黒人地区となり,1920年代には〈ハーレム・ルネサンス〉といわれて,黒人作家がここから輩出する。ハーレムを描いた詩人や劇作家のなかでは,J.L.ヒューズやジーン・トゥーマーなどが重要である。そして第2次大戦後に活躍しだした作家J.ボールドウィンは,ハーレムに生まれ,R.ライトに次ぐ重要な黒人作家とされている。

 アメリカ美術のヨーロッパ模倣時代は,第2次大戦後になってようやく終わったといえよう。20世紀初頭以後,現代芸術運動のほとんどすべては,ヨーロッパ,とくにパリを中心として興っていた。だが50年代以後は,その役割がニューヨークによって取って代わられた観がある。とくに美術におけるJ.ポロック,デ・クーニングらの,いわゆるニューヨーク派,あるいは抽象表現主義,そして60年代になって隆盛を極めたウォーホルなどのポップ・アートミニマル・アート,そして80年代に興った新表現派(ニュー・ペインティング)など,後期モダニズムを代表する主要な美術運動は,すべてニューヨークと切り離して考えることはできない。同時に第2次大戦中ナチス・ドイツから亡命してきた者をはじめ,世界の代表的芸術家の多くが,ニューヨークに新しい活躍の場を求める傾向が強くなってきている。

 また戦後の文学では,J.D.サリンジャー,J.アップダイク,D.バーセルミらが《ニューヨーカー》誌を,J.ボールドウィン,K.ボネガットらが《ネーション》誌をそれぞれ舞台に活躍している。

 演劇は,早くからニューヨーク文化の重要な要素として,ブロードウェーを中心に発達,すでに植民地時代の1735年,ブロードウェーに芝居小屋があったという記録がある。しかしニューヨークの演劇が真に優れた演劇性を獲得したのは,1920~30年代で,それはおもに,G.B.ショーやオニールを含むヨーロッパおよびアメリカの新しい劇作家を紹介した〈シアター・ギルドTheatre Guild〉というグループの活躍に負うところが多い。グループはまた,ラント夫妻のような名優も多く育てた。だがブロードウェーが,おもにミュージカル・コメディの発達につれて商業化するに伴い,様相が変わってくる。すなわち,とくに第2次大戦後,ビレッジなど,ブロードウェー以外の地域に,いわゆるオフ・ブロードウェー劇場が興り,小規模,小資本でしばしば実験的な演劇を上演するようになる。70年代になると,さらに小資本のオフ・オフ・ブロードウェー劇場が生まれて,今やニューヨークには,さまざまなレベルでの演劇活動が殷賑(いんしん)を極めている。また1954年に創立された〈ニューヨーク・シェークスピア・フェスティバル〉の存在も特筆に値しよう。おもにシェークスピアの作品を毎夏セントラル・パークで上演するほか,1967年の問題作《ヘア》以来,グリニチ・ビレッジのオフ・ブロードウェー劇場で新しい実験的な劇も上演し,アメリカの演劇界に大きな活力を与えている。
執筆者:


ニューヨーク[州]
New York

アメリカ合衆国北東部の州。略称N.Y.。独立13州の一つで,連邦加入1788年,11番目。面積12万2283km2,人口は1937万8102(2010)で全米第3位。州人口は1810年以来第1位であったが,1960年代にカリフォルニア州にその座を譲り,90年代初めにはテキサス州にも追い越された。州都オルバニー,最大都市ニューヨーク。州名は1664年以後,オランダからイギリスへ支配が移ったときに,のちのイギリス王ジェームズ2世となったヨーク公の名をとって命名された。アメリカ最大の都市ニューヨークを擁して,経済・文化の中心地であったことから〈エンパイア・ステートEmpire State(帝国州)〉とも呼ばれる。アパラチア山脈に属する丘陵,山地(キャッツキル山地など)とアディロンダック山地が州の大半を占め,氷河湖が散在する。北部から西部にかけては,エリー湖,オンタリオ湖,シャンプレーン湖を含むセント・ローレンス水系に面する低地が続き,中部から南東部にかけてはハドソン水系の低地があり,ニューヨーク市を中心とする南東部大西洋岸地域とともに商工業および農業の盛んな地域である。湿潤大陸性気候が卓越し,北海道と似た気候であるが,南東部は湿潤温暖気候となる。アメリカで最も工業化の進んだ州の一つで,製本・印刷,機械,電気・電子,繊維,食品加工,化学,自動車などあらゆる製造業が発達している。同時にニューヨーク市は全米の金融・商業の中心的位置を占めている。また酪農製品や野菜を中心とする農業は,乳牛や養鶏の飼育が盛んであり,オンタリオ湖沿岸のリンゴ栽培やブドウなどの果樹作物も重要である。ナイアガラ滝のほか各地の観光・保養地をアメリカ・メガロポリスから多くの人々が訪れる。この地方はもともとアルゴンキン諸族およびイロコイ諸族のインディアンの居住地域であった。1609年にオランダに雇われたイギリス人H.ハドソンが現在のハドソン川をさかのぼって,オランダが支配権を主張した。14年オランダ人がオルバニー付近に拠点を建設,さらに26年にはマンハッタンを買収し,一帯を〈ニューネーデルラント(新オランダ)〉と称したが,64年以後はイギリス領になった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ニューヨーク」の意味・わかりやすい解説

ニューヨーク(市)
にゅーよーく
New York

アメリカ合衆国、北東部大西洋岸にある合衆国で最大の都市。ニューヨーク州の南東端に位置し、南は大西洋に、西はハドソン川を隔ててニュー・ジャージー州に接する。面積836.8平方キロメートル。人口800万8278(2000)はメキシコ市、東京(都区部)に次いで世界第3位。また大都市圏人口は2119万9865に達する。

[伊藤達雄]

地形・気候

ニューヨーク市はハドソン川の河口に位置するが、そこは沖積地ではなく、全体が緩く起伏する火成岩および変成岩よりなる丘陵地形である。ハドソン川、イースト・リバーも川というよりは入り江で、かつてはその丘陵を刻む深い峡谷であったものが、陸地の沈降によって現在は数十キロメートルの上流まで潮の干満の影響を受ける深い入り江となった、典型的なエスチュアリ(三角江)である。ハドソン川は河口から約250キロメートルのオルバニーまで外洋船がさかのぼることができ、ここからさらにモホーク川、エリー運河を経て五大湖まで水運が通じている。この川の市発展に与えた影響は大きい。市とその周辺は第三氷河期に大陸氷河に覆われた所で、多くの終堆石(しゅうたいせき)丘がみられる。マンハッタン島の中央にあるセントラル・パークでも、氷河の削痕(さくこん)を残した巨石を見ることができる。土壌は薄いが硬い基盤のため、高層ビル群の支えとなっていることはよく知られるところである。

 気候は、年平均気温12.4℃、最暖月(7月)平均24.7℃、最寒月(1月)平均0.0℃で、日本の仙台と似ている。年降水量は1028ミリメートルで、やはり仙台(1219ミリメートル)と似ている。しかし、夏の雨量がより少なく、冬にはかなりの積雪があり、仙台よりも年間平均した雨の降り方である。海岸に近く位置するだけに、合衆国では温暖湿潤のしのぎやすい気候である。夏から初秋にかけてハリケーンとよばれる熱帯性低気圧に襲われることがあるが、日本の台風より頻度が少なく、強烈でない。郊外に出るとカシ、カエデ、ヒッコリー、マツなどの緑が多く、秋の紅葉が美しい。

[伊藤達雄]

産業

ワシントン(市)が行政首都であるのに対して、ニューヨークは合衆国の産業首都である。オランダによりマンハッタン島南端に毛皮交易所が開かれ、1626年にニュー・アムステルダムと名づけられたときからアメリカ大陸の玄関口となり、今日の巨大都市に至るまで、その成立と発展の基盤は恵まれた港湾条件にあった。大西洋に面するロング・アイランド島とスターテン島との間のナローズ海峡(幅約1.5キロメートル)を入ると、広いアッパー・ニューヨーク湾が開ける。ここからマンハッタン島までまだ約8キロメートルあるが、天然の良港である。1825年にエリー運河が完成し、大西洋からアパラチア山脈とアディロンダック山地との間の地峡を通じて内陸への唯一の水路が開けると、ニューヨークは全米の表玄関としての、また国際貿易港としての地位を確立し、19世紀の爆発的発展期を迎える。この港湾機能を軸として鉄道・道路・空港などの交通網の要(かなめ)となり、さらにそれを通じて商業・金融・情報・文化などが発達し、ニューヨークの産業基盤が形成された。

 ニューヨーク市を擁する州の工業出荷額はカリフォルニア州に次いで第2位(1467億ドル、1997)、付加価値生産高でも2位(770億ドル、1997)であり、その大部分はニューヨーク大都市圏が占め、工業は市の主要産業といえる。その内容は、ファッション性の高い繊維・毛皮・皮革の加工や印刷・出版・事務機器、電機製品などの都市型中小企業が主である。しかし、ニューヨークを「工業都市」と考える人はほとんどいないであろう。市の産業の中核は第三次産業部門で、その領域は多様である。『メガロポリス』という本を書いた地理学者ジャン・ゴットマンJ.Gottmann(1915―1994)は、ニューヨークを「アメリカとヨーロッパを結ぶ十字路」とよんだ。この十字路を通って動く物資とサービス、その雑踏のなかから生まれる情報とアイデアが、市の活力の源泉である。初期の市発展を支えた港湾は、その他の港湾が整備されるにつれて独占的地位が低下しつつあるが、いまも合衆国の最重要港湾である。1921年、複雑な交通を総合的に統制するためにニューヨーク‐ニュー・ジャージー港湾局が組織され、埠頭(ふとう)のみならず橋、トンネル、空港(ジョン・エフ・ケネディ国際空港など)、バスターミナルなどの建設・運営を行っている。2001年のアメリカ同時多発テロにより破壊された世界貿易センタービルもその管理下にあった。港湾局は巨大な企業体でもある。現代を代表する産業は、銀行・保険などの金融業、証券・商品の取引業、世界的規模でのビジネスであろう。ローワー・マンハッタンとよばれる、マンハッタン島南端のウォール街を中心とするわずか1.6平方キロメートルの地区は、19世紀末にはすでに商業中心地区であった。多くの有名銀行の本・支店のほか、ニューヨーク証券取引所、アメリカ証券取引所などがあり、世界の株式市場に影響力をもつため、「ウォール街」は証券市場の代名詞とさえなっている。20世紀に入ると、それまでは郊外の富裕な住宅地区であった北部に、新しい事務所が進出を始めた。34丁目からセントラル・パークまでの間に新しいビル・ラッシュが起こり、エンパイア・ステート・ビル(1931完成)などを含む第二の都心が形成され、ミッド・タウンとよばれるようになった。ここは金融のローワー・マンハッタンに対して、企業の事務所、専門サービス業、高級衣服仕立業などが主で、劇場街のブロードウェー、高級品店が軒を連ねる五番街、国連本部、ロックフェラー・センターなどもこの地区にある。また、ニューヨークは商品取引、卸売業も盛んで、コーヒー、砂糖、ココア、綿花の取引所があり、国際価格もここで決められ、世界に流通していく。近年の航空機・情報化時代を迎えてニューヨークはますます多忙化し、国際線直行便は79か国および地域136都市(2001)と結ばれ、スターテン島にはテレポートも建設されるなど、文字どおり24時間都市である。市に特派員を置く外国の新聞・出版社、放送局数および従業員数、市在住の外国人外交官数はともに世界第1位にある。マンハッタン島で働く人は215万人で、その3分の2が毎日島の外からトンネルと橋を通って通勤している。

[伊藤達雄]

5区の概要

ニューヨーク市は東京都区部の1.4倍の面積をもち、マンハッタン区、ブロンクス区、クイーンズ区、ブルックリン区、スターテン島の五つの区Boroughに分かれている。最小のマンハッタン区でも東京の千代田・中央・港・新宿・文京の都心5区を合わせた面積に等しい。

[伊藤達雄]

マンハッタン区

ハドソン川、イースト・リバー、ハーレム川に囲まれたマンハッタン島を区域とするニューヨークの心臓部である。

 高層ビルが林立し、アメリカ経済ばかりでなく、世界経済の中枢がここに集中し、現代の演劇・音楽など、芸術を創出する中心であり、博物館・美術館も数多く、アメリカの宝石箱でもある。あらゆる種類のレストラン、クラブ、ホテルのほか犯罪や貧民窟(くつ)まで、現代都市のすべての要素がこの島に詰まっており、24時間絶え間なく活動している。南端のローワー・マンハッタンはニューヨーク発祥の地で、金融・保険・証券業の中心である。1960年代に入って、かつての埠頭(ふとう)地区に埋立て地による新都市、バッテリー・パーク・シティ計画が始まった。アパート、事務所、学校、商店街、公園を備えた新都市が生まれ、ニューヨークがなお発展を続けるようすをみることができる。

 なお、2001年9月、アメリカの富の象徴といわれたローワー・マンハッタンの世界貿易センター・ツインタワー(110階、417メートルと415メートル)がハイジャックした民間航空機を衝突させるというテロ行為により倒壊、多くの犠牲者を出し、世界経済の中心としてのマンハッタン区は大きな打撃を受けた。

[伊藤達雄]

ブロンクス区

ハーレム川を挟んでマンハッタン島の北に隣接している。ニューヨークの発展とともに住宅化を主に周辺区として発達した。ハドソン川に沿うリバーデール地区はいまもコロニアル風、チューダー王朝風といった豪邸が緑の中に建ち、有名人や金持ちが住み、マンハッタンのアッパー・イースト・サイドの高級アパート街と並び称される高級住区である。区内にはニューヨーク動物公園(ブロンクス動物園)、ニューヨーク植物園、ヤンキー・スタジアム、鉄道操作場、大西洋岸諸州に青果物を供給する大市場などの施設があり、四つのゴルフ場もある。一方、ブロンクスは1960年代に黒人とスペイン語系人口が過半数を超え、白人比率がもっとも低い区となった。とくにイースト・リバーに面するサウス・ブロンクス地区にその比率が高く、3分の1が生活保護に依存している。5区のうちで人口減少率がもっとも高い区で、サウス・ブロンクス再開発が最大の課題となっている。

[伊藤達雄]

クイーンズ区

面積最大、人口減少率は最小で安定している。マンハッタンへ通じる鉄道、自動車専用パーク・ウェーが何本も貫いて、アメリカの典型的な郊外住宅地がどこまでも続く。イースト・リバー岸には工場地帯があり、ジャマイカ、フラッシングなど鉄道駅周辺はニューヨークの副都心となっているが、大部分は中産階級の住宅地である。日本人もここに住んでいる者が多い。大きな入り江で多数の島が点在するジャマイカ湾には大都会に至近の所とは思えぬ豊かな自然が残っており、ロッカウェーの長い砂嘴(さし)は別荘や海水浴場に利用されている。湾岸にジョン・エフ・ケネディ国際空港と海軍飛行場がある。

[伊藤達雄]

ブルックリン区

5区のなかで最大の人口をもち、単独でも全米第4位の都市に匹敵する。北の半分は港湾と工場地帯で、その中にかつてのマンハッタンの金持ちたちの郊外住宅が、いまはスラムとなった地区が点在する。イースト・リバーにかかる最古の吊橋(つりばし)ブルックリン橋の優雅な姿がかつての栄華を物語るが、港湾産業と製造業の衰退がブルックリンに深刻な問題を残している。各所で再開発による企業誘致や住宅改善が進められているが、世界最大で最悪の部類に数えられるというブラウンズビル地区やベドフォード・スタイブサント地区などのスラムの解消にはほど遠い。かつてブルックリンは誇り高く、独自の方言をもち、地域主義の強い所で、プロ野球のドジャース(1958年よりロサンゼルスに移る)の本拠でもあったし、コニー・アイランドには全米から人が集まり夏の楽園を提供していたが、いまはその勢いはない。

[伊藤達雄]

スターテン島

5区のなかで、もっともニューヨークらしくない区である。ブルックリンとの間のナローズ海峡をまたいで、1964年にベラザノ・ナローズ橋が架けられるまで、フェリーでしか往復できず、市のごみ処理場や化学廃棄物処理場などがあって「ニューヨークのごみ捨て場」とすらよばれた地帯であった。しかし橋が架かって以来、土地開発が始まり、5区のなかでは唯一人口が増加を続けている。白人比率がもっとも高い。犯罪発生率が最低であるほか、市内唯一の地方紙『アドバンス』も健在で、ニューヨークではこれからの発展が期待されている。

[伊藤達雄]

文化・観光

ニューヨークは物質文明が築いた傑作といわれるだけに、都市そのものが文化の所産であり、観光の対象である。由緒ある建物や橋、博物館、美術館、劇場、公園などは数多く、レストランも国際色豊かである。市も1980年以来、「ニューヨークは最大の観光地」を呼び物にキャンペーンを展開し、観光の産業化に力を入れている。

 高等教育機関の中心はボストンに譲るとしても、アイビー・リーグの一つで多くのノーベル賞学者を教授陣にもつコロンビア大学をはじめ、ニューヨーク大学(NYU)、ニューヨーク市立大学、州立大学などがあり、学問・教育の水準は高い。また、富を築いたアメリカは芸術を招くことに熱心で、今日市内には、50館以上の博物館・美術館がある。もっとも規模の大きいメトロポリタン美術館(13万平方メートル)は、1870年に市民の間から起こった開設運動が1880年に実ったものである。当初は油絵174点の所蔵から出発したが、以後毎年拡張を続けており、いまでは古代エジプトから現代アメリカの作品まで120万点の逸品が集められている。ニューヨークの人たちは、高級住宅街として知られるアッパー・イースト・サイド、五番街に面するメトロポリタン美術館を中心に有名美術館が点在する一帯を「ミュージアム・マイル」とよぶ。この間に、世界初の写真博物館として知られる国際写真センター、印象派以降の近現代美術を集め、フランク・ロイド・ライトの奇抜な設計で有名なグッゲンハイム美術館、M・ブロイヤー設計の建物自体が前衛美術のような、アメリカ美術専門のホイットニー美術館をはじめ、ユダヤ美術館、フリック・コレクション、クーパー・ヒューイット美術館があり、美術好きを喜ばせる1マイルである。

 マンハッタンを斜めに走るブロードウェーのタイムズ・スクエアを中心とした周辺が、いわゆる「ブロードウェー」とよばれる劇場の集まった所で、ここに最大のユリス劇場(座席数1933)から最小のリトル劇場(座席数499)まで約40劇場がある。世界の舞台芸術家の檜(ひのき)舞台であるが、とくに19世紀後半から始まり1920年代に黄金時代を築いたミュージカルは、ブロードウェーが生んだニューヨークの芸術である。かつてはガーシュイン、コール・ポーター、ジェローム・カーンらが活躍し、『ショー・ボート』『南太平洋』『王様と私』などの傑作が生まれ、新しいところでは『ヘアー』『エビータ』『キャッツ』などが話題作となった。ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団はニューヨークを本拠とする交響楽団で、世界で活躍する。また、石油王カーネギーが建て、1891年の杮落(こけらおと)しにはチャイコフスキーがタクトを振ったカーネギー・ホールも、世界の音楽家たちにとっての檜舞台である。ニューヨーク・メトロポリタン・オペラも有名で、リンカーン・センター内のオペラハウスでは、毎年10月から4月までの日曜を除く毎晩に、定期公演を見ることができる。グリニジ・ビレッジ周辺ではオフ・オフ・ブロードウェーやジャズのライブ、珍しいレストランなどを楽しむことができるし、その南のソーホー地区は、かつての倉庫や工場をアトリエなどに改造したロフトとよばれる建物が多く、新しいアーチストたちのたまり場として知られる。

 マンハッタン島は水に囲まれており、これを一周する遊覧船や、自由の女神像へ連絡するフェリーなどから眺める高層ビル群の景観はみごとである。また、市内にはセントラル・パークをはじめとする60もの公園があり、郊外へ出ると緑の多い美しい住宅地が続き、ハイウェーのドライブも楽しめる。

[伊藤達雄]

人種・人口

人種のるつぼといわれる合衆国のなかでも、ニューヨークは多民族多人種のコスモポリタン都市である。19世紀前半にはイギリスや中欧・北欧のゲルマン系、後半にはイタリアなど南欧系と東欧のスラブ系が移民の主流をなし、1855年から1890年までの急増期には、700万もの移民がニューヨークに上陸した。金のある者は開拓者として西部へ向かったが、貧しい者はニューヨークに残り、ことばもしゃべれぬまま同じ国の者同士が集まって住んだ。リトル・イタリー、リトル・ウクライナ、ジャーマン・タウンなどはこうして成立したものである。第二次世界大戦中はナチスの弾圧を逃れてユダヤ人も流入した。今日ユダヤ人口は100万を超え、世界最大のユダヤ人都市となっている。諸人種が入り乱れて互いにしのぎを削り、ぬきんでた者だけが人種や宗教の枠を超えて認められる。この構造が人々の刺激となっているのである。それだけに、成功した者と取り残された者との貧富の差は激しい。ニューヨークの貧困層は人口の15%にも達し、そのうち5分の2が黒人、5分の1がプエルト・リコ人である。犯罪発生率は1980年の犯罪発生件数は120万件で東京の6.5倍に及び、1992年の殺人件数は2262件で史上最高を記録した。人種問題と深くかかわる貧困はきわめて深刻な問題といえよう。こうした過去の統計数値から犯罪都市のイメージが強いニューヨークであるが、最近の犯罪件数は激減しており、1998年の件数は32万件、1997年の殺人件数は755件となっている。

[伊藤達雄]

歴史

市の前身は、1625年にオランダ西インド会社がマンハッタン島の南端近くに設立し1626年命名した入植地ニュー・アムステルダムである。それは初め八角形の砦(とりで)と二つの門を結ぶ通りと中央の市場、それを囲む会社役員の家々からなっていた。3年後の1628年でも人口は約270の小さな町で、やがて石壁(ウォール)の新しい砦がつくられた。ウォール街の名はこれに由来する。そこにはハッケンサックなど多数の先住民小部族が居住していたが、初めは安物の品と交換に、まもなく武力によって彼らの土地を奪い、抵抗する先住民を容赦なく殺害した。1664年にイギリス小艦隊が取り囲んだとき、先住民との戦いで消耗していたオランダ側は抵抗らしい抵抗もできず降伏した。英軍司令官R・ニコルズは、この地を王弟ヨーク公にちなんでニューヨークと改名した。

 名誉革命(1688~1689)の影響で1689~1691年にはここでも革命が起こり、J・ライスラーが実権を握り、デ・ラノイが初の民選市長に就任した。反動が起こってライスラーは処刑され、市長の民選も1834年までとだえたが、1735年のピーター・ゼンガー事件、1741年の黒人の反乱計画など自由を求める闘いは続いた。アメリカ独立革命期には、ニューヨーク市は1765年の印紙税法反対会議の開催や茶税法反対運動などで重要な役割を演じたが、1776年にワシントン将軍指揮下の大陸軍が敗退したあと、1783年の講和まで英軍の占領下に置かれ国王派の拠点となった。

 独立後の1785年から1790年までアメリカの首都となり、1897年までニューヨーク州の州都として一時政治の中心となったが、その後今日までむしろ商工業や金融業や貿易・運輸業など内外の経済・交通の中心地、移民の窓口として発展した。とくに蒸気船の発明と、エリー運河の開通による水運や鉄道網の発達に伴って、商都ニューヨークの発展は目覚ましく、人口も1790年の3万3000から1830年には20万を超え、フィラデルフィアを抜いて第1位に躍進し、1860年には81万、1880年代には100万を超え、1900年には344万に達した。一方、伝染病や大火の災害にみまわれたことも再三に及び、1702年の黄熱病の流行、1778年、1796年、1804年、1835年、1845年の大火は大きな被害をもたらした。市政では南北戦争後のボス支配や汚職と20世紀前半の革新主義的改革で名をなした。F・ルーズベルトのニューディール政策は、ニューヨーク州知事時代の経験を生かしたものといわれる。

[富田虎男]

『芦原伸著『ニューヨーク』(1987・読売新聞社)』『太田弘編『ニューヨーク都市地図集成』(1997・柏書房)』『伊藤章編著『ポストモダン都市ニューヨーク』(2001・松柏社)』『佐々木謙一編『最新ニューヨーク情報辞典』(2003・研究社)』『上岡伸雄著『ニューヨークを読む』(中公新書)』



ニューヨーク(州)
にゅーよーく
New York

アメリカ合衆国、北東部大西洋岸の州。面積14万1292平方キロメートル(うちランドエリアは12万2277平方キロメートル)は合衆国第30位だが、人口1897万6457(2000)は1964年以降カリフォルニア州に次いで第2位である。独立13州の一つ。エンパイア・ステート(帝国州)と称せられ、人口10万以上(2000)の都市にニューヨーク市、バッファロー市、ロチェスター市、ヨンカーズ市、シラキュース市がある。州都オルバニー。州域は、大西洋に注ぐハドソン川の河口付近で狭く、内陸に入るにしたがって扇状に広がる三角形をなし、全体に内陸型の州である。北西部はセント・ローレンス川、オンタリオ湖、エリー湖を隔ててカナダ国境と接し、南西部は北緯42度線とデラウェア川とでペンシルベニア州と、ハドソン川でニュー・ジャージー州と接し、東はバーモント州、マサチューセッツ州、コネティカット州とそれぞれ接する。地形的には、アパラチア山脈とアディロンダック山地の山岳地形、五大湖岸の平地、ハドソン川とモホーク川沿いの峡谷、ロング・アイランド島と大きく四つに分けられる。ハドソン川河口は沈水性のエスチュアリ(三角江)で、ニューヨーク湾を形成している。地質的には、古いローレンシア台地が基盤で硬く、第三氷期に大陸氷河に覆われたため、氷河湖などが点在する。最高峰はアディロンダック山地中のマーシー山(1630メートル)。気候は、大西洋岸から内陸の五大湖岸まで広がるため多様で、内陸に至るほど厳しい大陸型となるが、総じて日本の東北地方とよく似た気候を呈す。山岳地帯では冬にスキーが楽しめる。

 北東部大西洋岸は近郊農業の中核地帯で、アパラチア高地での酪農、平地での蔬菜(そさい)栽培、ニワトリ、カモ、卵の生産は全米1、2位を争う。ロング・アイランド島でのニワトリ、カモはとくに有名である。五大湖周辺地帯ではリンゴ、ブドウ、モモなど果樹栽培が広く行われている。中西部では岩塩、石材、鉄鉱石、石油、天然ガスなどの地下資源を産し、合衆国初期の工業化に大きな貢献をした。工業化は、エリー運河の開通(1825)によって五大湖からオルバニーまでの運賃が約10分の1に低減されてから急速に進み、ナイアガラ川、セント・ローレンス川の水力発電開発も加わり、ニューヨーク、バッファロー、ロチェスターなどの工業都市が発達した。工業生産額では現在カリフォルニア州に次いで全米第2位にある。大西洋沿岸ではカキ、ハマグリ、タラなどの漁獲がある。

 1524年、フィレンツェの航海家ジョバンニ・ダ・ベラザーノが初めてニューヨーク湾とハドソン川を発見し、その後、イギリス人でオランダの東インド会社に雇われたヘンリー・ハドソンがこの川をさかのぼってオルバニーに至った。彼がこの川をハドソン川と命名し、この地が豊かな土地で毛皮に富み、友好的な先住民(アメリカ・インディアン)がいることを報告した。以後オランダ商人が交易に力を入れ、1614年ごろオルバニーに最初の交易砦(とりで)を築き、1624年に最初の入植者30家族が定住を始め、ニュー・ネザーランドと命名した。1626年、初代総督ピーター・ミヌイトがインディアンからマンハッタン島(現ニューヨーク市)を買収し、ここをニュー・アムステルダムと名づけた。イギリス・オランダ戦争後の1674年にイギリス領となった際にニューヨークと改められ、1776年の合衆国独立宣言とともに州となった。1790年まで州都はニューヨーク市に置かれていた。

 文化・教育では、ニューヨーク州立大学、ニューヨーク市立大学のほか、コロンビア大学、ウェストポイント兵学校、コーネル大学などの著名校があり、ニューヨーク市は芸術・演劇・文化の世界的中心であることはいうまでもない。

[伊藤達雄]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「ニューヨーク」の意味・わかりやすい解説

ニューヨーク

米国,ニューヨーク州南東部,大西洋岸の都市。通称〈ビッグ・アップル〉。米国の商工業,金融,貿易,文化などの中心で,経済的主都。ハドソン川河口に位置する天然の良港で,米国の輸入の約2分の1,輸出の3分の1がここを経由。移民による豊富な労働力,ヨーロッパとの貿易拠点であることが工業発展の基礎。衣料品,印刷,出版,食料品,装身具,家具など大消費都市型の雑貨工業に特色がある。住民は多彩な人種構成をもち,ユダヤ人,黒人,プエルト・リコ人,中国人,ヨーロッパ各国人が居住,人種のるつぼをなす。マンハッタンブルックリンブロンクス,リッチモンド,クイーンズの5区からなる。市の核心部をなすマンハッタンは南北に細長いデルタの島で,中央部を縦貫するブロードウェーは商店街,劇場が多く,5番街にはエンパイア・ステート・ビルロックフェラー・センターなどの著名高層建築物が集中。タイムズ・スクエアは繁華街として知られ,南端のウォール街は金融の中心,近くには市内で最も高い世界貿易センター・ビル(417m,110階建のツイン・タワー)があったが2001年9月11日同時多発テロ事件(9.11事件)によって倒壊した。国連本部は東方イースト川に臨み,港口には〈自由の女神〉像が立つ。中央部セントラル・パークの周辺は文化・教育施設が多く,メトロポリタン美術館,市立博物館,アメリカ自然史博物館をはじめコロンビア大学カーネギー・ホールなどがある。 1625年オランダ人が創設,ニューアムステルダムと呼ばれたが,1664年に英領となり,ニューヨークと改称。1825年エリー運河の開通でヨーロッパへの門戸,内陸後背地への連絡拠点を兼ね急速に発展。1920年代には黒人街ハーレムに〈ハーレム・ルネサンス〉がおこり,黒人芸術家が多数輩出した。817万5133人(2010)。
→関連項目ニューヨーク[州]ニューヨーク金融市場ロング・アイランド[島]

ニューヨーク[州]【ニューヨーク】

米国北東部の州。略称NY。〈エンパイア・ステート〉とも呼ばれる。南端は大西洋,北はカナダ,北西はオンタリオ湖,エリー湖に面する。東部を走るアパラチア山脈の末端は,モホーク川によってアディロンダック,キャッツキル両山塊に分かれ,その東をハドソン川が南流。全体に氷食を受け氷河湖が多い。近郊農業が行われ,リンゴ,ブドウ,イチゴ,オウトウなどの果実や,メープルシロップ,鶏卵を産する。ニューヨーク市を中心に諸工業が発達,ロチェスターバッファローは鉄鋼など重工業の中心。1604年オランダ領,1664年英領。独立13州の一つ。1788年連邦加入。州都オルバニー。最大都市ニューヨーク。12万2057km2。1974万6227人(2014)。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ニューヨーク」の意味・わかりやすい解説

ニューヨーク
New York City

アメリカ合衆国ニューヨーク州南東部,ハドソン川河口にあり,ニューヨーク湾に臨む同国最大の都市。西半球で最も人口の多い都市の一つで,マンハッタンブロンクスクイーンズブルックリンスタテン島の 5区からなる。1614年にオランダ人が入植し,ニューアムステルダムと命名した。1664年イギリス領になり,ニューヨークと改称。1789~90年アメリカの首都。1825年エリー運河が開通し,以後商工業が発達。20世紀初頭から多数の移民が入り,大都市として発展した(→エリス島)。特に第1次世界大戦後世界の金融の中心となり,マンハッタンにはニューヨーク証券取引所をはじめ銀行などが集中。アメリカ最大の工業都市であり,ブルックリン,クイーンズを中心に衣料,皮革,製紙,印刷,食品加工,化学,電機など,多様な工業が発達。ニューヨーク港はアメリカ最大の商港でもある。また 1946年国際連合の本部が設けられ,国際政治の中心となった。市街地は東西と南北の道路で碁盤目状につくられ,エンパイア・ステート・ビル(381m)などがそびえ立つ摩天楼はニューヨークの象徴ともなっているが,そのうちの一つ,世界貿易センター(417m)は 2001年9月11日にテロの攻撃を受け崩壊(→アメリカ同時テロ)。世界各地から移民の流入が絶えず,ハーレム,リトルイタリー,チャイナタウンなどがつくられた。1960年以降はヒスパニック系の移民が増加,初めはプエルトリコやドミニカ共和国から,のちにはメキシコなど中南米からの移民が続き,2000年には黒人とともにそれぞれ人口の 27%を占めるまでになった。コロンビア大学ニューヨーク近代美術館メトロポリタン美術館リンカーン・センターマジソン・スクエア・ガーデンなど,多くの学術施設,文化施設がある。タイムズスクエア付近には映画館,劇場が集中する。グリニッチビレッジは,多くの芸術家の集まる場所として,国際的に有名。大都市に共通した過密化,交通渋滞,犯罪などの問題が多いが,市はその解決に多額の予算を投じている。面積 790km2。人口 817万5133(2010)。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ニューヨーク」の解説

ニューヨーク
New York

ニューヨーク市はアメリカ最大の都市で金融商工業の中心地。植民地時代から商業都市として栄えたが,19世紀前半イーリー運河の開通によって西部との結びつきを強めてからめざましく発展し,その後経済のみならず芸術・文化活動においてもアメリカの中心となった。ニューヨーク市を持つニューヨーク州はアメリカ合衆国の大州の一つである。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ニューヨーク」の解説

ニューヨーク
New York

アメリカ合衆国,大西洋岸中部にある同国最大の都市またはその州
ニューヨーク市はハドソン川河口に面し,オランダ領ニューアムステルダムから,イギリス領となり(1664),対外貿易港・移住基地として発展。1789〜90年は,独立した合衆国最初の首都とされた。19世紀前半から隆盛となり,1869年ウォール街に証券取引所が設立され,第一次世界大戦後は世界金融市場の中心地となった。1946年国際連合本部が設置された。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

デジタル大辞泉プラス 「ニューヨーク」の解説

ニューヨーク

《New York》アメリカ海軍の戦艦。ニューヨーク級の1番艦。超弩級戦艦。船体識別番号はBB-34。1912年進水、1914年就役。1946年、ビキニ環礁における原爆実験の標的艦に使用され、除籍。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

飲み物がわかる辞典 「ニューヨーク」の解説

ニューヨーク【New York】


カクテルの一種。ライウイスキー、ライムジュース、グレナデンシロップ、砂糖をシェークしてカクテルグラスに注ぎ、オレンジピールを絞る。グレナデンシロップによるピンクの色彩が特徴的。ショートドリンク。

出典 講談社飲み物がわかる辞典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のニューヨークの言及

【区】より

…こうした区画を通常,区というが,その形式は法人格をもつ自治区,行政区,たんなる行政区画など多様である。ニューヨーク市には,マンハッタン,ブロンクス,ブルックリン,クイーンズ,スタテン島の5区(borough)が設けられている。区長は公選であり道路,下水道などに行政権限をもつとともに,市長,助役,収入役と並んで市理事会Board of Estimateの構成員として市の立法と行政に関与している。…

【スカイスクレーパー】より

…なお,詩人サンドバーグは《シカゴ詩集》の中の一編〈スカイスクレーパー〉で,高層ビルの一日を描いている。一方,20世紀初頭のニューヨークでは,頂上に尖塔をのせ,随所に装飾を施した折衷様式の高層建築が流行し,シカゴの箱型建築と対比をなした。シンガー・ビル(1907)やウールワース・ビル(1913,C.ギルバート)などが代表例。…

【都市計画】より


[その他の計画]
 以上のほか,都市の運営上重要な施設として,上下水道,電気・ガスなど供給・処理施設,学校などの教育文化施設,病院・保育所など保健・福祉施設,市町村庁舎など都市運営施設等の計画があり,さらに都市防災,事故防止,公害防止,自然保護,文化財保全,都市景観など都市環境計画があり,都市の基本計画はこれらを総合した都市構成計画として策定される。
【大都市圏計画】
 ロンドン,ニューヨーク,東京などの大都市は人口,機能の集中が大きく,通勤,通学,物資の流動など都市の経済・社会活動が通常の都市の範囲を超えて広域にわたって展開されている。そこで通常の都市基本計画よりさらに広域の,いわゆる大都市圏計画を設定している。…

【都市問題】より

…そしてこのころからロサンゼルス,デトロイトなどの都市暴動が起こるに至る。さらに,社会的低所得層とみられた黒人たちよりいっそう条件の劣悪なスペイン語系,アジア系移民が合法・非合法で,ニューヨーク市をはじめフロリダ州,カリフォルニア州等の都市に大量流入しはじめた。都心部の中高所得層の白人が郊外・他都市へ流出し,そこに低所得者が集中し諸困難をもたらす都心部の問題(インナー・シティ問題inner city problems)が深刻化する。…

※「ニューヨーク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

期日前投票

期日前投票制度は、2003年6月11日公布、同年12月1日施行の改正公職選挙法によって創設された。投票は原則として投票日に行われるものであるが、この制度によって、選挙の公示日(告示日)の翌日から投票日...

期日前投票の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android