ニエプス(読み)にえぷす(英語表記)Joseph Nicéphore Niépce

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ニエプス」の意味・わかりやすい解説

ニエプス
にえぷす
Joseph Nicéphore Niépce
(1765―1833)

フランスの写真発明者。ブルゴーニュ地方のシャロン・シュル・ソーヌに生まれる。兵役に服したのち、兄のクロードClaude Niépce(1763―1828)と発明に凝り、内燃機関などを考案するが、いずれも実用に至らず、リトグラフ石版画)にヒントを得て、カメラ・オブスキュラの像を自動的に製版することを思い付き、研究を重ねる。1822年ごろから、上質のアスファルトが光に当たると油に溶けやすくなる性質を利用して、1826年夏、史上初の写真術「ヘリオグラフィ」heliographie(「太陽の描く絵」の意のラテン語)に成功。しかし、この方法は実用には適さず、1829年パリのダゲールと研究の提携を約したが、ダゲールのダゲレオタイプ(銀板写真)完成を待たずに没した。

[平木 収]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ニエプス」の意味・わかりやすい解説

ニエプス
Niepce, Joseph-Nicéphore

[生]1765.3.7. シャロンシュルソーヌ
[没]1833.7.5. シャロンシュルソーヌ
フランスの写真発明家。富裕な家に生れた。一時軍隊に属したこともあったが,病弱だったため故郷帰り,研究に没頭した。 1807年兄弟で内燃機関を発明。 13年フランスで石版術が流行しはじめ,彼も興味をもち,この研究から彼がヘリオグラフと呼んだ写真術を発明した (1816) 。最初は銀の塩化物を紙に処理したもので,像は部分的にしか得られなかったが,22年,次いで 26年に光によって硬化するアスファルトの一種を用いて,より鮮明な像をつくることに成功。その後,数時間必要な露出時間を短縮する研究を続けたが,1人では成功せず,29年 L.ダゲールと共同研究を開始した。しかし成功をみることなく没した。

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