ウジュンパンダン(その他表記)Ujung Pandang

デジタル大辞泉 「ウジュンパンダン」の意味・読み・例文・類語

ウジュン‐パンダン(Ujung Pandang)

インドネシアスラウェシ島都市マカッサル旧称

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改訂新版 世界大百科事典 「ウジュンパンダン」の意味・わかりやすい解説

ウジュン・パンダン
Ujung Pandang

インドネシア,スラウェシセレベス)島西南半島西岸にある港市。人口115万1245(2003)。地名の意味は〈アナナスの茂る岬〉。旧名マカッサルMakassar。マカッサル海峡に臨み,同島最大の港市で,政治・経済・文化の中心でもあり,南スラウェシ州の州都。周辺は低平で湿潤水田がよく開け,マカッサル族居住地の中心で,古来東部の香料産地モルッカ地方への中継基地として商業が栄えた。香料は同じくスラウェシ南西部に住む航海民族ブギス族によって運ばれていた。17世紀以前には付近にボニ,ワジョなどの小国があったが,のちウジュン・パンダンを中心とするゴワ王国に併合され,17世紀初めに王国はスラウェシ南西部に覇権を確立した。このためポルトガル,イギリス,さらにオランダの侵入を受け,スルタン・ハサヌッディンの治世にオランダ遠征軍に敗れ,ボンガヤ条約(1667)でオランダの保護下に入った。これはオランダにインドネシア東部の完全支配の基礎を与え,以来ゴワ王国は衰退した。現在,市街は近代化され,中央広場,州庁に通ずる並木道が美しい。沖のサンゴ礁が自然の防波堤をなすうえに,改良工事で大洋航行の船も出入し,商況が活発である。インドネシア海軍の基地でもある。国立ハサヌッディン大学も置かれる。
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百科事典マイペディア 「ウジュンパンダン」の意味・わかりやすい解説

ウジュン・パンダン

インドネシア中部,スラウェシ島南西端の港湾都市。南スラウェシ州の州都。旧名マカッサル。古来,東方の香料産地モルッカ諸島へ至る中継基地として商業が繁栄。住民はマカッサル人が多く,東インド諸島の商業・航海者として活躍した。港は近年改修されて大型船の出入もできる。スラウェシの政治・経済の中心。漁業も盛ん。17世紀初め,小国を束ねてゴワ王国が形成されたが,オランダの攻撃に敗れて1667年保護国となった。以後オランダによるインドネシア東部支配の拠点となった。大学,海軍基地がある。1999年,再びマカッサルに改称された。133万8663人(2010)。
→関連項目スラウェシ[島]

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウジュンパンダン」の意味・わかりやすい解説

ウジュン・パンダン
うじゅんぱんだん
Ujung Pandang

インドネシア、スラウェシ(セレベス)島南西の港市マカッサルの1971~1999年までの名称。地名は「パンダヌス樹の茂る岬」の意。

[編集部]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウジュンパンダン」の意味・わかりやすい解説

ウジュンパンダン

「マカッサル」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内のウジュンパンダンの言及

【スラウェシ[島]】より

…第2次大戦後スラウェシと改称され,行政的には南・北2州に分けられ(現在は4州),新しい時代を迎えた。島の人口の70%は南部に集中し,特にウジュン・パンダン(旧,マカッサル)を中心とする南西半島が開けている。米,トウモロコシ,豆類など各種農産物がつくられ,ウジュン・パンダン北方では水力開発も進んでいる。…

※「ウジュンパンダン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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