マカッサル(読み)まかっさる(英語表記)Makasar

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マカッサル」の意味・わかりやすい解説

マカッサル
Makassar

インドネシアスラウェシ島の南西部,マカッサル海峡に臨む港湾都市。旧称ウジュンパンダン Ujung Pandang。スラウェシスラタン州州都スラウェシ島南部だけでなく,マルク諸島小スンダ列島を広く後背地とし,輸出や中継貿易でにぎわう。1512年にポルトガル人が渡来したときにはゴワ国のスルタンのもとで大きな船隊をもち,香料貿易で繁栄していた。1607年オランダ人が交易所を設置し,1667年にゴワを制圧してからは,ヨーロッパ人による香料貿易と,東洋進出の一拠点となった。ココア,コーヒー,パーム油,そのほか林産物や水産物などを輸出。住民のブギス族マカッサル族商人,船乗りとして優れ,広く島外でも活躍,ほかにトラジャ族などの多様な民族集団から構成され,市街にはヨーロッパ人や中国人の商店も多い。1825~30年のオランダからの独立運動を指導しこの地に流されて死んだディポ・ネゴロの墓がある(→ジャワ戦争)。道路網が内陸部に通じ,国内各地やマレー半島などへの直行便が就航する空港がある。ハサヌディン大学(1956)など教育文化施設も多い。人口 133万1391(2010)。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「マカッサル」の意味・わかりやすい解説

マカッサル(民族)
まかっさる
Makassar

インドネシア、スラウェシ島の南西半島(南スラウェシ州)南部に居住する民族集団。人口は約200万人。文化的に共通点の多いブギス人とともにブギス・マカッサル人としばしば総称されるが、言語系統論上は、マカッサル語は他の南スラウェシ諸語(ブギス語、サダン・トラジャ語、マンダール語)からもっとも孤立した位置にある。親族組織は双系的であるが、イトコ婚による親族紐帯(ちゅうたい)の強化、妻方居住的傾向も顕著である。王国時代の身分制に基づいた王族・貴族/平民の身分意識も根強いゴワ王国の形成は14世紀前後にさかのぼり、他のブギス諸王国と同様、天孫降臨の建国神話をもつ。17世紀初頭にはイスラム改宗、香料貿易の国際的中継基地として最盛期を迎えるが、1669年オランダ東インド会社とボネ王国の同盟軍に敗北。以後、貿易の権益はオランダ側に、南スラウェシにおける覇権はブギス人のボネ王国に移った。住民のほとんどはムスリムであるが、精霊信仰、バワカラエン山信仰などの影響も強い。おもな生業水稲、雑穀栽培など、また漁業も盛んでとくにマカッサル海峡におけるトビウオ漁、かつてバジャウ人とともにオーストラリア北岸まで出漁したナマコ漁は有名である。

伊藤 眞]


マカッサル(インドネシアの地名)
まかっさる
Makasar

インドネシア、スラウェシ(セレベス)島南西の港市。1971年にマカッサルからウジュン・パンダンUjung Pandang(「パンダヌス樹の茂る岬」の意)に改称されたが、1999年現名に戻った。人口110万0019(2000)、150万2459(2018推計)。スラウェシ島第一の都市で、地方政治、経済、文化の中心地であり、南スラウェシ州の州都である。マカッサル海峡に臨み、付近はマカッサル人が居住し、古来、マレー半島、ジャワと東方の香料産地モルッカ諸島との中継基地として商業が栄えた。以前には多くの小国があったが、のち、ここを首都とするゴワ王国に統一された。しかし戦略的要点でもあるため、近世にポルトガル、イギリス、オランダの侵入を受け、17世紀後半にはオランダ領となった。市街は近代化され、中央広場などに通ずる美しいタマリンドやカナリー樹の並木道は有名である。沖合いのサンゴ礁が天然の防波堤をなすうえに、近代に行われた港の改良工事で大船も停泊しうる。地方物資の集散が盛んで、インドネシア海軍の重要基地の一つでもある。国立大学がある。

[別技篤彦]

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