ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウラジーミル2世」の意味・わかりやすい解説
ウラジーミル2世(モノマフ)
ウラジーミルにせい[モノマフ]
Vladimir II Monomakh
[没]1125.5.19. キエフ近郊
ロシアのキエフ大公 (在位 1113~25) 。ヤロスラフ1世 (賢公)の孫。フセボロドの子。母がビザンチン皇帝コンスタンチヌス9世モノマコスの皇女であったところから,この名がある。 1113年キエフで下層の住民が暴動を起した際,ベーチェ (民会) の懇請によって公位につき,反乱を鎮圧するとともに,暴動の原因が高利貸の誅求にあったので借金の利率を下げて住民の経済状態の改善をはかった。諸侯を服従させ,ポロベツ (クマン) 人の地へ遠征してその侵略を阻止することで,公の権威の回復に努め,キエフ最後の強力な公となった。しかし公の権力の基盤はすでにくずれかけており,彼の死後キエフは公位相続をめぐる内紛に見舞われ,急速に没落の道をたどった。息子らのために書いた『庭訓』 Pouchenieはキエフ・ルーシの俗人文学の代表的作品である。
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