ベーチェ(読み)べーちぇ(英語表記)вече/veche ロシア語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベーチェ」の意味・わかりやすい解説

ベーチェ
べーちぇ
вече/veche ロシア語

古代・中世スラブの民会。とくにロシアのそれが名高い。その起源は氏族制社会にさかのぼると考えられるが、ロシアの場合もっとも発展したのは11~12世紀の都市、とくにノブゴロドキエフ(現、キーウ)などの大都市においてである。審議事項は、公の招聘(しょうへい)と追放、市長・主教・千人長などの選出更迭、戦争と講和の決定、他の地方との条約締結、土地や特権の付与、諸法典の採択などであった。裁判・行政問題は普通民会の審議事項には入らなかった。審議方法は大ざっぱな手順があったのみで、少なくとも初期には表決は行われず、参加者の賛否叫び声の大きさによって決定が下されたと考えられている。民会は、中世ロシアにおける「都市民主制」のよき表現であったといえるが、現実には封建階級が公権力を制限する手段として利用することが多かった。民会は14世紀以降、諸公権力の強化とともにしだいに意味を失っていった。

[栗生沢猛夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベーチェ」の意味・わかりやすい解説

ベーチェ
veche

古代~中世ロシアの民会。 10~15世紀にかけて,キエフ,ノブゴロド,プスコフ,ウラジーミルなどの諸公国に存在し,年代記に出てくる最も古いベーチェ記述は,ベルゴロードの 997年,ノブゴロドの 1016年,キエフの 1068年にさかのぼる。ベーチェは軍事指導者,主教,行政官などを任免し,戦争や平和を決議し,法律を制定し,土地の配分や封建的特権などの問題を決めた。公の権力の強化とともに,14世紀末には招集されなくなり,1478年にノブゴロドが,1510年にプスコフがモスクワ大公国に併合されるに及んで,ベーチェはまったく廃止された。民会といっても実権は大商人や貴族上層階級が握っていたのであって,民衆主権があったわけではなかった。

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