ウルグアイ史(読み)ウルグアイし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウルグアイ史」の意味・わかりやすい解説

ウルグアイ史
ウルグアイし

16世紀以来,スペインの植民地であったが,ポルトガル領有を企図したため,今日のウルグアイをめぐる両国抗争は絶えなかった。 1726年にはスペイン人の手でモンテビデオ市が建設された。 1811年 J.アルティガスの指導のもとにスペインからの独立運動が開始されたが,17年ポルトガルの支配下に落ちた。 26年ブラジルとアルゼンチンはウルグアイの領有をめぐって戦争に突入し,28年の講和条約で,ウルグアイの独立が正式に承認された。独立後国内の政争が相次ぎ,コロラド (赤) 党とブランコ (白) 党の対立はたびたび国を内乱に導いた。 20世紀初頭大統領に就任したコロラド党の J.バトリェ・イ・オルドニェス (在任 1903~07,11~15) は,国内の抗争に終止符を打ち,福祉政策を徹底させた。政治改革も前進し,1951年には大統領制に代る複数執政官制度が発足した。しかしながら 1950年代以降,基幹産業である牧畜と農業の停滞が顕著になると,経済的,政治的なひずみも目立ってきた。膨大な出費を伴う福祉政策の実施は困難となり,大衆の不満も高まった。 60年代には都市ゲリラ活動が活発化し,66年には大統領制が復活した。 71年 J.ボルダベリが大統領に当選以来,軍部の力をかりて,都市ゲリラを弾圧したため,軍政色を強めた。 73年以降も引続き,左翼勢力を弾圧,事実上軍政が続いた。 76年7月に A.メンデスが大統領に就任したが,77年アメリカ政府より名指しで人権抑圧国と非難され,軍事援助を削減された。その後,85年民政に移管したが,慢性化した経済不況が続いている。

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