アルティガス(その他表記)Artigas, José Gervasio

デジタル大辞泉 「アルティガス」の意味・読み・例文・類語

アルティガス(Artigas)

ウルグアイ北部の都市。アルティガス州の州都。ブラジルとの国境をなすクアレイン川(ポルトガル語名カライ川)沿いの町カライと相対し、橋で結ばれる。ウルグアイの独立運動の指導者ホセ=アルティガスの名を冠する。周辺に農牧地帯が広がり、穀物・果物・牛肉などの集散地となっており、国境貿易も盛ん。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アルティガス」の意味・わかりやすい解説

アルティガス
Artigas, José Gervasio

[生]1764.6.19. モンテビデオ
[没]1850.9.23. イビライ
ウルグアイ建国の父。スペイン系の富裕な農場主の家に生れ,フランシスコ会の修道院で教育を受けたのち,カスパで農場の経営にあたった。勇猛果敢で乗馬に秀でた彼は,ガウチョの厚い信望を得,農村の自衛部隊の隊長に推された。 1797年モンテビデオのスペイン政府軍に入隊。 1810年ブエノスアイレス市で独立運動が起ると,革命軍に身を投じ,11年ウルグアイに戻って独立運動を指導した。同年5月,ラスピエドラスでスペイン王党派を破り,モンテビデオを包囲したが,ポルトガル軍進入の危険が高まったため,約1万 6000人 (当時のウルグアイ総人口の約4分の1) の老若男女を率いてアユイ (アルゼンチン) に避難。 12年アルゼンチン軍のモンテビデオ包囲に協力したが,翌年彼の唱える連邦制主張が拒否されたことから,ブエノスアイレスの政府と対立するにいたった。これがのちにウルグアイを単独の共和国として独立させる (1828) 起因となった。 14~16年にかけ,彼の勢力圏はウルグアイのみならずアルゼンチン東部諸州にまで及んだ。しかし 16年に始るポルトガル軍の侵入に抵抗しえず,20年タクアレンボの戦い敗北を喫し,ウルグアイを去った。同年アルゼンチンで失地回復をはかったが失敗,以後パラグアイで隠遁生活をおくった。

アルティガス
Artigas

ウルグアイ北西端部,アルティガス県県都。ブラジルとの国境をなすクアレイン川 (ブラジルではクアライ川) にのぞむ都市で,同川をはさんでクアライに相対する。 1852年建設され,初めサンエウヘニオ San Eugenioと呼ばれた。周辺の農牧地帯の中心地で,肉牛,乾燥牛肉,羊毛,穀物,果実などを集散し,ブラジルとの取引も盛ん。ウルグアイ川の河港サルト,ベヤウニオンと鉄道,道路で連絡。対岸のクアライとは橋で結ばれる。人口3万 4551 (1985) 。

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改訂新版 世界大百科事典 「アルティガス」の意味・わかりやすい解説

アルティガス
José Gervasio Artigas
生没年:1764-1850

ウルグアイの軍人,政治家。バンダ・オリエンタル(スペイン植民地時代のウルグアイの旧称)の名門に生まれ,牧畜業に携わったのち農村警護隊の士官となる。1811年ブエノス・アイレス市の自治政府と協力して独立運動を起こしたが,連邦制によるラ・プラタ地域の統一を主張したため,中央集権制に固執するブエノス・アイレス市政府との対立を深めた。14年王党派が敗退すると,翌年バンダ・オリエンタルからアルゼンチン軍を一掃して初の自治政府を築き,のちにウルグアイを分離独立(1828)させる素地をつくった。アルゼンチン国内でも連邦主義のリーダー格だったが,ポルトガル軍の侵略を受け,17年に政権の座を追われてから,その影響力も低下。20年ポルトガル軍との戦闘に敗れてパラグアイに逃れ,同国で30年間の亡命生活を送った。独立の英雄として遺体が祖国に迎えられたのは死後5年のことであった。
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百科事典マイペディア 「アルティガス」の意味・わかりやすい解説

アルティガス

ウルグアイ建国の功労者。1811年反スペイン独立運動を起こし,連邦制によるラ・プラタ地域の統一を主張。中央集権派との対立から,1815年バンダオリエンタル(のちのウルグアイ)自治政府を樹立。1817年ポルトガルの侵入により政権の座を追われ,1820年パラグアイに亡命。
→関連項目ウルグアイ

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アルティガス」の意味・わかりやすい解説

アルティガス
あるてぃがす
Artigas

南アメリカ、ウルグアイ北部、ブラジルとの国境の都市。人口5万2500(2002推計)。アルティガス県(人口7万8075。2001)の県都。穀物、野菜、果樹、ウシ、ヒツジなどを主とする農業、牧畜地域の小中心地である。カライン川を隔てて対岸のブラジルの町カライと相対し、橋で結ばれる。ブラジルとの商取引が盛んに行われている。

[山本正三]

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世界大百科事典(旧版)内のアルティガスの言及

【ウルグアイ】より

…1726年スペインはモンテビデオ市を建設し,76年リオ・デ・ラ・プラタ副王領の設置に伴ってバンダ・オリエンタルはその一部となり,翌年のサン・イルデフォンソ条約によりスペインの領有が確認された。
[独立へ]
 1810年ブエノス・アイレス市で独立運動が開始されると,それに呼応してバンダ・オリエンタル農村部の有力者アルティガスが蜂起し,14年までに王党派を追放することに成功した。しかしながら,独立後の国造りをめぐって旧リオ・デ・ラ・プラタ副王領全体の連邦制を主張したアルティガスは,中央集権制に固執するブエノス・アイレス市と鋭く対立し,この対立に乗じたポルトガルはバンダ・オリエンタルを侵略して21年7月シスプラティーナ州として併合した。…

※「アルティガス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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