現代外国人名録2016 「エフゲニープルシェンコ」の解説
エフゲニー プルシェンコ
Evgenii Plushenko
- 職業・肩書
- フィギュアスケート選手 トリノ五輪フィギュアスケート男子シングル金メダリスト
- 国籍
- ロシア
- 生年月日
- 1982年11月3日
- 出生地
- ソ連ロシア共和国ボルゴグラード州(ロシア)
- 本名
- Plushenko,Evgenii Viktorovich
- 経歴
- ハバロフスク地方のコムソモリスク・ナ・アムーレ市郊外にある人口1万4000人の都市型集落、ソルネチヌイ出身。4歳の時に知人から使い古しのスケート靴をもらい、フィギュアスケートを始める。11歳で名コーチのアレクセイ・ミーシンに見い出され、家族と離れてサンクトペテルブルクに移住。並はずれたテクニックで、1998〜99年シーズンにISUグランプリ(GP)シリーズのNHK杯、スケートカナダで優勝し、GPファイナル3位。ロシア選手権で初優勝。’99年〜2000年シーズンはGPファイナル初優勝、ロシア選手権2連覇、欧州選手権優勝、世界選手権4位。2000〜2001年シーズンはGPファイナル2連覇、ロシア選手権3連覇、欧州選手権2連覇、世界選手権初優勝。2001〜2002年シーズンはGPファイナル2位、ロシア選手権4連覇。ソルトレークシティ五輪はショートプログラム(SP)で転倒し、ライバルのアレクセイ・ヤグディン(ロシア)に次ぐ銀メダルに終わる。2002〜2003年シーズンはGPファイナルと欧州選手権で3度目の優勝、世界選手権で2度目の優勝。2003〜2004年シーズンはGPファイナル2位、ロシア選手権で5度目の優勝、欧州選手権2位、世界選手権で3度目の優勝。2004〜2005年シーズンはGPファイナル、ロシア選手権、欧州選手権で優勝。世界選手権は両脚つけ根の怪我で途中棄権。2005〜2006年シーズンはロシア選手権、欧州選手権で優勝し、トリノ五輪で金メダルを獲得。その後、休養に入り、2009〜2010年シーズン4季ぶりに競技に復帰し、GPシリーズのロシア杯で優勝。ロシア選手権、欧州選手権でも優勝するが、バンクーバー五輪はエバン・ライサチェク(米国)に敗れ、銀メダル。同年8月ロシア連盟の許可なしにアイスショーへ出演したとして競技会出場資格剥奪が確定した。2011〜2012年シーズンに復帰し、ロシア選手権で9度目の優勝、欧州選手権で7度目の優勝を果たす。2012〜2013年シーズンはロシア選手権で10度目の優勝を達成するが、欧州選手権の最中に腰の持病が悪化し、2013年1月腰を手術。2013〜2014年シーズンはロシア選手権でマキシム・コフトゥンに敗れて2位となり、異例のテスト演技会を経てソチ五輪代表に選ばれる。2014年2月のソチ五輪では団体戦男子シングルのフリースケーティング(FS)で1位のポイントを獲得しロシアの金メダルに貢献するも、個人戦はSPの直前に腰の故障で棄権した。その後は手術を受け、競技に復帰。世界で初めて4回転トウループ、3回転トウループ、2回転ループの連続ジャンプをマスターし、天才の名をほしいままにする。後に4回転トウループ、3回転トウループ、3回転ループも成功させている。176センチ、68キロ。2005年結婚。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報