エルテムル(その他表記)Eltemür

改訂新版 世界大百科事典 「エルテムル」の意味・わかりやすい解説

エルテムル (燕帖木児
)
Eltemür
生没年:?-1333

中国,元代中・末期の独裁的権力者。キプチャク族近衛軍団長の家柄。祖父トクトハ(土土哈),父チョングル(床兀児)が対ハイドゥ戦や武宗即位に功績をたてたことも手伝い,麾下(きか)の軍団を背景に台頭。1328年泰定帝が上都に没すると大都で反乱おこし,約3ヵ月の内戦ののち政権を握った。以後,武宗系の明宗,文宗,寧宗,順帝を擁立し,王族・貴族層を抑えて権力を振るったが,死後その勢力は一掃された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エルテムル」の意味・わかりやすい解説

エル・テムル(燕鉄木児)
エル・テムル
Eltemür

[生]?
[没]元統1(1333)
中国,元の権臣キプチャク・ハン国の人。諡は忠武。欽察親軍衛都指揮使を世襲。武宗にケシク (侍衛) として仕え,仁宗,泰定帝各朝において累官。致和1 (1328) 年泰定帝が上都に没し,幼帝天順帝が即位するや,武宗の皇子文宗を大都に擁立し,上都を攻撃して勝利を収めた。文宗の兄明宗がいったん即位したが毒殺して再度文宗を立て,権臣の地位を確立してダルハン (荅剌罕),中書右丞相その他最高官爵を独占した。泰定帝の后妃をめとり,子のタラハイ (荅剌海) を文宗の息子とし,寧宗擁立にも加わり専権をふるったが,荒淫におぼれて死んだ。徳王に追封された。

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